ゲド戦記 原作者の言い分 その2

15日、「ゲド戦記 原作者の言い分」としてル=グウィンの意見を紹介したが、日本語訳として紹介したサイトは、全文ではなく、表現も少々恣意的な傾向があるようだ。改めてこちらの訳を紹介する。

全文が、比較的忠実な直訳、訳者の解釈を反映した意訳などと訳し分けられていて、意を汲みやすい。これを参考に原文を読んでみた。15日の記事は恥ずかしながら、原文はあたらず訳文だけを読んで書いたものだった。原文を読んでみると、いろいろと感じることがある。

宮崎吾郎監督が、「ゲド戦記監督日誌」の「ル=グウィンさんの言葉」(2006/08/06)で原作者の感想を紹介しており、それを僕も引用したのだが、これを公開されるのは彼女の意図に沿わないものであると知り、まずその部分は削除した。

ル=グウィンは、映画としての出来栄えを批判しているわけではないようだ。批判的な部分もあるが、良いところも認め、褒めてもいる。腹を立てているのは、「ゲド戦記」と名乗る以上、尊重すべきことがあるだろうに、それが滅茶苦茶にされたということと、当初と「話が違う」ことらしい。

宮崎駿とプロデューサーの鈴木敏夫が映画化の許可を求めて訪米した時の様子は、鈴木自身が読売新聞のインタビューで語っている。

両方を併せ読むと、ル=グウィンの側にも手落ちはあるように思う。まず20年前に宮崎駿が映画化を持ちかけた時、ミヤザキがどういう人間か調査もせず断わってしまったこと。そして昨年映画化を持ちかけられた際にOKしてしまったことだ。

宮崎駿が、「全責任を持つ」と言いながら(わざわざ鈴木が持参した)吾郎の描いた龍の絵を「これは間違っている」と言うなど、実際には責任を持っていないことは明らかで、普通に考えたらこの時点で駄目を出すところだ。それでもOKしてしたのは、「宮崎駿」という名前に目が眩んだのだろうか。

このあたりの経緯は、いささか疑問を感じるところだが、しかし彼女はニゴシエーターではなく作家だ。交渉事の経験豊富な鈴木あたりにうまく乗せられてしまったとしても、やむをえないところだろう。

そして、このタイミングで「これは自分の描いた世界とは別物だ」と表明したのは、作家としての矜持なのかも知れない。これを読んで、改めて原作を読もうと思った人は少なくないだろうから、意義はあった。僕も、やはり原作を読んでみないといけないな、と今は思っている。

でも、その前に映画をもう一度観に行くと思うけど。とにかく、原作はどうあれ、いい映画だった。