ガリレオ - 第9話、最終話「爆ぜる(はぜる)」

出演

解説

少々感想を書くのも疲れてきた。これだけ大量の文章を立て続けに書けば、疲れるのも当然だが……それだけではない。

振り返ると、第一話はよくできていた。最初に犯人(らしき人)が登場するという倒叙形式なのは、ドラマの性格を逆手にとったものだろう(キャストを見ただけで犯人がわかってしまうので)。しかし、そこにひとひねり加えて、原作をもう一歩踏み込んだ「真相」を描き出した。

ストーリーもきちんとしている一方で、湯川、内海をはじめ、弓削、栗林、城ノ内といったレギュラーの面々も性格設定もきちんとなされており、さらに湯川と内海の掛け合いといった笑える要素も十分に盛り込まれている。さらに、ひらめいた時の湯川のビヘイビア(数式を書きなぐる等)といったカリカチュア化された表現も登場し、インパクトがあった。

その後、キャラがどんどん立っていき、カリカチュア化された表現に一層の磨きがかかり、「お約束」が随所にちりばめられる一方、ストーリーの方はぐだぐだになっていった。

そこを追及してはいけないファンタジーなんだろうな、と好意的に見てはいたが、最終回は突き抜けていた。

科学が目指すものは、みたいな壮大なテーマが一方では語られていたが、僕は科学技術に関わるものとして、このような微妙な問題を、ミステリーひとつ満足に描けないようなドラマに偉そうに語ってほしくない。

ゴミの問題に関しては、不法投棄した人以外にも責任を問うなら、製造・販売したメーカーだろう。少なくとも大学人である湯川が非難されるいわれは全くない。内海も、そんなことで湯川に文句をいうくらいなら、まだ十分動く自動車を買い替えたりとか、バーゲンでつい買ってはみたものの結局着ないまま処分した衣服がないかとか、ゴミの省力化に自分はいったいどれだけ貢献しているか、まず自分に問うた方がいい。

木島征志郎が何かすごくヤバイことをしているらしいのだが、何がどうヤバイのか、理解できなかった。原子炉を作るように見せかけて実は核爆弾を開発しているということらしい。が、日本では非核三原則があるから核に手を出すのはまずいが、国外であればそういう制約はない。核爆弾は、使うためではなく抑止力のために必要とする見方もあり、後進国が国際舞台で発言力を得るために必要とする考え方もあり、核の開発そのものが悪とは単純にはいえない。

従って、そのことに抗議してきた藤川雄一も、単にクビにすればそれでよく、殺す必要性などない。まして、終盤でなにをトチ狂ったか、いきなり小型原爆を設置して立ち去るとは。

しかも、穂積京子のいない人生など考えられない、と、東京の半分を道連れにしようと決めたのなら、さっさと起爆させればよい。湯川の前で3時間の猶予を与えた理由は、本当に「さっぱり、わからない」。ドラマ的には盛り上がったけど、いくらなんでももう少し話を作れなかったのだろうか?

すべてが解決し、感極まって、言葉が出てこない内海が、湯川の胸に身体を押し付けて「……メリー・クリスマス」とつぶやくのって、これ、「のだめカンタービレ」の二番煎じ??

だから、真面目に感想文を書こうとすると……萎えるのだ。一応、原作はよくできた本格推理小説なんだから、もう少しプライドをもって作ってほしかったな、とは思う。

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