窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

「官僚たちの夏」最終話「天下りせず」(TBS)

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感想

鮎川は死に、庭野は繊維業界が潰されるのを止められず、暴徒に殴られて失意の中で退場、牧は自分の主張をなくし手下の片山にまで咬みつかれる始末……自分たちにはどうすることもできない流れの中で、光が見えないまま幕切れとなった。最終話ではじめて原作のテイストに近くなったといえるが、どうにも中途半端な終わり方だ。

おまけに、エンディングではその後の日本の繁栄の様子をフラッシュバックで流していたため、結局通産省は何をやっていたのか? と虚しく問いかけることになっている。そんなことを企図したものだったのか?

岡屋社長が「この10年なにも変わっていない……」と庭野を激しく非難するが、彼ら(繊維業界の人たち)こそこの10年で何を学んだのか。かつて綿の輸出が右肩上がりで伸びてはしゃいでいた時に、アメリカから自由化を押しつけられて日本の綿は壊滅的な打撃を受け、岡屋社長も吸収合併を余儀なくされた。その後繊維業界は化学繊維に転じ、これがうまくいって輸出が伸び、さあ設備投資だなんだとはしゃいでいたら、アメリカは輸入規制を押しつけ……。

現実がどうだったかはともかく、ドラマを見る限りでは、日本が派手に儲ければアメリカに潰される。だから好景気に踊らされず、特に対米輸出には頼らない産業構造を作るべきだったのではないか。それを通産のせいにするなよ、とは思う。

片山が援助を申し出、庭野が「弱者救済は石炭で手一杯だ」と断わったのもおもしろい構図(これまでと逆)。それに対し片山が「日本の繊維は弱者じゃない」と切り返すところが今回のハイライト、かな。

風越の、辞めた後も天下りせず、雑文を書いたり講演をしたりして貧しく過ごすというのもポリシーではあろう。しかし力がない。日本を憂いて、庭野を心配して駆け付けても、「こんなことでいちいち先輩面してやってこないでくださいよ」と言われるのがオチ。牧のセリフにムッとしたのは風越だけではないかも知れないが、この点に関しては牧が正論だ。少々頼りなくても(頼りなく見えても)、だからといってOBにしゃしゃり出てこられたら現場はたまったもんじゃない。

藤田朋子がいかにも今風の奥さんだった。昭和40年代だと、いかに高級官僚の妻とはいえ、あんな若々しくないだろうと思うのだが。

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リンク

城山三郎の小説もこのテレビドラマも佐橋滋をモデルにした主人公「風越信吾」をヒーロー化して描いているが

それはどうだろうか。原作ではそうではないと思う。原作を読んだことがあってこのドラマを見た僕は、なんでこんなに風越たちが美化されているのか不思議だった(今でも不思議だ)。官僚を持ち上げる政治的な理由があったのか、最終回で急転したのは、政局が変わったからかなどと訝ってしまう。