三たびアバター

再びIMAX 3Dで「アバター」を観た。通算3回目。

オープニングは、地球からパンドラへの宇宙の旅をしている数年間睡眠状態にあったジェイクが目を覚ます場面。エンディングは、機械を使用してリンクしているわけではないのに、エイワのもとでジェイクのアバターがパチっと目を覚ますところで終わる。これはいったい「何」から目を覚ましたのか? この符号はもちろん意図的だろう。

それ以外は特に新たに気付いたところはなかったが、感じ方は少し変わった。『しつこく「アバター」の話』(2010/02/11)でも少し触れたけど、ナヴィらの異民族を侵略したことよりも、パンドラの自然を破壊したことの方によりイヤな感じを受けた。だから、これは侵略や植民地化政策に対する批判というより、もっと根源的な問いかけをしているのではないかと思う。

宅地を作るために山を切り開き、道路を作るために草木を切り倒す。その山にも木にも草にもエイワが宿っているのではないか? それは許されることなのだろうか? 未来の人類がパンドラの自然を破壊してアンオブタニウムを採掘することが許されないなら、現代の日本人が東京湾を埋め立ててビルを建てることも許されないのではないか。それが許されないなら、太古の石器時代人の竪穴式住居も許されないのではないか……。

などなど、ということを考えさせられたわけだ。

それにしても、ジェイクはアバターを自分の本体としてパンドラで生きていくこともできようが、人類として残ったノームはつらいぞ。人類に絶望し、パンドラの自然を愛し、植物の研究をして生きて行こうと思ったのかも知れないが、メンテナンス要員もいない基地がいつまで維持できるものやら。グレイスも逝って、話し相手もなく、娯楽のない世界でどうやって生きていくのか……。

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立場が変わると見方が変わる典型。この映画は世界的にヒットしているというが、歴史的に、他国に支配されたことのある(されている、される可能性に不安を感じている)民族の人にはどう見えるのだろう、という点に興味がある。これはその答えの一つか。「形を変えた白人支配」という見方は実に秀逸と思う。

The ART of AVATAR ジェームズ・キャメロン『アバター』の世界 (ShoPro Books)

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