窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

初夜の心得を教えるのは乳母の役目/13「花嫁の決意」

出演

雑感

日曜日に見そびれてしまったが、ようやく再放送を見ることができた。良かった良かった。ま、もしこの再放送を見逃してしまったら、もう今年の大河は見るのをやめただろうから、どちらが良かったのかはわからないが、死ぬ時になって自分の人生を振り返った時、「あの年の大河はひどかったなあ……」と(感慨といくばくかの懐かしさをこめて)思い出すのではないだろうか。僕の好きな言葉に「悪評もまた評なり」というものがあるが、どういう意味でも印象に残るというのは大事かも知れない。

しかし、「あの年の大河はひどかった……」といって思い出すためには、来年以降はまともに戻る必要がある。本当に戻るのだろうか。ファンタジー大河、スイーツ大河が今後のスタンダードになったりして。

さて、今回は、秀吉がお江に佐治一成との嫁入りの話を持ち出し、婚礼を行なう直前までを描いたものである。相変わらず話の展開がトロい。お江が佐治一成と結婚したことには疑問視する文献もあり(今確認したら、NHKのサイトにも「秀吉が政略結婚に使えるカードの1枚を使うほどの人物なのか?という点については、少々気にかかるところ」という記述があった)、時間をかけて語るような話ではないだろうと思う。

番組的には、秀吉がこの縁談を画策したのは、三姉妹の中でも特に気が強く、時に信長の顔がチラつくお江を嫁に出し、三姉妹を分裂させること、ついでに政治的に対立している織田信雄の家臣である佐治一成の切り崩しを図ること、が目的ということらしい。そしてお江は、自分が秀吉の言うことをきくことで、茶々に手を出さずにいくてくれるならそれでオッケー、ついでに母の血につながる従兄弟の佐治一成が相手なら文句はない、というところらしい。

しかし、番組の中でも茶々に突っ込まれていたが、嫁に出すなら長女からが自然であり、なぜ末娘が真っ先に候補に上がったのか、理解に苦しむ。嫁にいったのを1584年とするならお江11歳の時で、当時としても早い。上に姉がいるならなおさらだ。佐治一成は茶々とは同い年だから、茶々や初でも、年齢的に不釣り合いということはないはず。秀吉がお江を苦手としていただけでは説明にならないだろう。ファンタジーならファンタジーとして、筋は通してほしい。つまり、田渕史観における納得の行く説明がほしいということだ。説明ができないなら、いじるな。

さて、表向きは佐治一成を取り込むための戦略結婚ということになる。それを決めた途端、秀吉の正妻おねから激しく責められる。お前様は、お江様を戦の手駒にするのか……と。

申し訳ないけどおね様が何を怒っているのか、ワタシにはさっぱり理解できません*1。秀吉にとっては、お江であれ、石田三成であれ、織田三法師であれ、戦のための駒としか思っていないはず。武家社会とは、とりわけ戦国時代の武家社会とはそうしたものだろう。四国には長宗我部がおり、九州には大友・島津らがいて群雄割拠状態であり、中国の毛利とは一応和睦したとはいえいつ寝首を掻かれるかわからず、関東の北条、北陸の上杉、東北の伊達も安閑とはしていられず……この物語の中では何か忘れられている気がするのだが、戦国時代はまだ全然終わっていないのだ。

三姉妹は、何かというと、「戦は嫌でございます。戦を起こせば大勢が死にまする」などと口にするが、戦はこれから起こすのではない。依然として各地で起こっており、今後とも続くのだ。それが嫌なら、誰かが天下統一を果たし、長らく続いた戦乱の世の中を終わらせるしか手はない。幼い姫たちはともかく、周囲の大人たちにそれがわからぬわけはあるまい。浅井の父が死んだのも、柴田の養父が死んだのも、母お市が死んだのも、そうした流れの中での出来事である。秀吉一人が悪いわけではないことを、ちゃんと教えていない周囲も問題だ。織田信包とかは、どこへ行ったんだろう。

嫁ぐためにお江たち一行が尾張大野城に入った時、環境のよいところで一同は喜び、侍従たちは「これで佐治一成様がいい人だったらいうことはないですね」と言う。これも納得しかねる。

家族から見た場合、なにより大切なことは、この戦乱の世を生き延びられるかどうかではないだろうか。当時の価値観として、単に長生きすればいいわけではなく、しかるべき働きをし、しかるべく死んでいくことも名誉だという考え方があったかも知れない(なんとなくこれは江戸時代にできた価値観のような気もするのだが)。浅井長政柴田勝家が取り立てて不幸だったとは言えないだろう。しかし、そのために残された家族、お江たちが苦労したことを考えると、夫たる武将にはまず第一に長生きしてほしい、と考えるのが自然ではないだろうか。いい人であってほしい……というのは、生き死にの心配をしなくていい現代の考え方だと思うのだ。まあ、それが田渕的価値観なのかも知れないのだが。

それにしても乳母がお江にお床入りの心得を教える場面にはぶっとんだ。そりゃそういう躾も実際にはするのかも知れないが、それは大河でやる場面じゃないだろう。

前回、お江は田渕久美子に説教をしろと書いた。上野樹里水川あさみは、初の大河出演で主役クラスの役が与えられ、名誉の反面責任もあり、文句の言える心境ではないかも知れない。が、大竹しのぶなどはどう思っているのだろうか。彼女が日本のドラマ史上屈指の名女優であることは言を俟たない。こんなくだらないセリフをあれこれ言わされて、イヤじゃないのかなー。

彼女あたりが「こんな馬鹿げた役を演じるのは、これ以上は嫌でござりまする」とでも言えば、聞いてもらえるんじゃないかと思うけど……。

*1:おねと秀吉は、いわゆる今日でいう恋愛結婚だったらしい。しかし、それは当時としては極めて珍しいことであり、そんなことはおねだってわかっていたはずだ。