ドラマの評価軸

種々の事情があって感想を書く手がぱったり止まってしまったが、平清盛は最後まで休むことなく見たし、最後の4〜5回は、まずBSで「早盛」をし、twitterをチェックし、今度は地上波で改めてじっくりと「本盛」。その後再びtwitterハッシュタグで「平清盛」「盛絵」などを検索、TLを眺めたり自分でもつぶやいたりする……という濃厚な日曜日の夜を送っていた。

楽しみに見ている人が全国に大勢いる、ということが感じられ、実際にメッセージのやりとりなどができたことはありがたく、楽しい体験だったが、それにつけても平清盛の見当外れの批判には辟易させられた。

ドラマを見た上で、この内容はおかしい、この部分がつまらない、というのであればわかる。人によっていろいろな感じ方があるだろうし、指摘に筋が通っていれば、たとえ意見が異なっても不愉快にはならないものだ。しかし、そのようなまっとうな批判はほとんど目にした覚えがない。

批判の根拠はなんといっても視聴率である。大河ドラマ史上、最低の数字だったそうで、そのために大騒ぎされたのだ。しかしこれは、何重もの意味で不当な批判だと思う。

第一に、たとえば文学作品を評する時に、その本がどのくらい売れたかを基準にする人はいない。書評に取り上げるか否かは売れ行きで決まるのかも知れないが、少なくともそこで、この本は売れてないからダメな作品である、などと書く間抜けな評論家はいない。国語の授業で夏目漱石の「吾輩は猫である」について習うけれども、「この本は何冊売れました」と教わることはないし、文学史の本を読んでも、夏目漱石森鴎外志賀直哉谷崎潤一郎らの本がどのくらい売れたのか、書いてあるものはない。

エンターテイメント性に優れ、多くの人の話題になる本がある一方、あまり知られていないが、文学的価値の高い作品もあること。一時的に話題になってベストセラーになっても、数年後には忘れ去られる作品もあれば、20年後、30年後もずっと評価され続ける本もあること。それを僕たちは知っている。そして、おおむね後者の方が価値が高い、とも思っている。出版社や作家自身は、売れてほしいと思っているだろうし、売れないものはダメだと本音では考えているかも知れないが、少なくとも文化の担い手として、表向きはそういうことは言わない。

しかるに、テレビドラマだけは視聴率、視聴率、視聴率。すべてが視聴率で語られる。内容は二の次、三の次である。これはあまりにもおかしくないか。視聴率もひとつの現象を捉えたものかも知れないが、それが評価のすべてではあり得ないだろう。「平清盛」のドラマ風に言えば、それは「軸」が欠けているのではないか。

民間放送は視聴率によって広告費、すなわち売り上げが決まるから、それを気にするのは、わからないでもない(もちろん、テレビ局員が気にするのは理解できるということであって、一般の視聴者やマスコミが、テレビ局の懐具合を慮る必要は露ほどもないとは思うが)。しかし、NHKまでもが一緒になって大騒ぎするのは奇妙である。

そもそも悪いとされる視聴率は地上波の放送分であるが、大河ドラマの場合、BSでも放映され、再放送もある。昔はBSを契約している人は少なかったから対象外でも良かっただろうが、今では大半の人は地上波もBSも同じように見られるはずで、そうであれば殊更に地上波放送にこだわる意味はなく、BSで見る人は増えているはずである。視聴率をいうならBSや再放送の分も明らかにしてもらわなければ間尺に合わない。調査していないはずはないと思うが、隠蔽されているのは納得のいかない話である。

さらに、ワンセグや録画しての視聴は視聴率のカウント外である。昨今の人々の生活スタイルからしたら、明らかにおかしな話である。一昨年のアナログ放映の終了に伴い、テレビの買い替え需要が進む中で、録画機材も急速に普及した。多チャンネル化も進んだ。大河に限らないが、今ではドラマを見る時、その時間に必ず自宅に戻ってテレビの前に座る(よう努力する)より、とりあえず録画しておいて暇な時に見る、という人は多いはずである。それが視聴率に反映されないなら、視聴率にどんな意味があるのだろうか。*1

最終回は、普通なら30分拡大して75分となるところである。しかし45分の枠に押し込められ延長させてもらえなかったのは、視聴率が低迷したゆえだろう〔本件は追記を参照のこと〕。清盛が主人公だから、最終回より前に死なせるわけにはいかない。が、平家物語は清盛が死んだところで終わるわけにもいかない。そこで、その後の源平の争いは超特急で話を進めるしかなかった。最終回は「単に粗筋を紹介しているだけのようだった」「壇ノ浦があまりにもお粗末」などの感想も目にしたが、それはあまりにも尺が足りなかったからじゃー、あと30分あればじっくり書き込めたのじゃー、と残念で仕方がなかった。

何より腹が立ったのは紅白歌合戦での扱いである。ゲスト審査員には、まず翌年の大河ドラマの主役が呼ばれる。今回は綾瀬はるかが選ばれていた。これはいい。松山ケンイチは昨年審査員を務めている。それとは別に、その年の大河の関係者から1〜2名選ばれるもので、一年前は大竹しのぶ、その前の年は寺島しのぶ伊勢谷友介が選出されていた。が、今回は誰も選ばれず。

もっとも出演者の中にAAAの西島隆弘君がいたから、当然紹介の際に司会者から何かあると思ったが、一切そのような話はなかった。とにかく紅白歌合戦でその年の大河ドラマの話題に一切触れないというのは異様である。一方、福山雅治は自曲を歌う前に「龍馬伝」のテーマ曲を演奏した。NHKは、2年も前の「龍馬伝」を引っ張り出してまで、今年の「平清盛」をなかったことにしたかったのか。

こうした方々に対してはただひとつ、「あなたの心の軸はどこにあるのですか」とお尋ねしてみたい。

【追記】
磯プロデューサーのtwitterでの発言(1月7日)によると、最終回が拡大なしの45分だったのは「オリンピックの影響で放送が1回休止になり、最終回が年末編成に食い込んだためです。その時、全49回にして最終回を延長する案もあったのですが、全50回を優先しました。結果的に言えば、第49回放送の12月16日は総選挙になったので、この選択で良かったと思っています。余談ですが、オリンピックと言うのは直前にならないとどの放送局が、どの競技を中継するか決まらないのです」とのことである。

12月16日が最終回であれば、選挙で慌ただしく余韻にふけるどころではなかっただろうと思うので、その点は僥倖だったと言うべきか。視聴率が悪かったために拡大させてもらえなかった、というのは穿った見方だったようだ。

しかしそれでも、もし視聴率が20%以上で推移していたら(無理をしてでも)やはり75分にしてもらえたのではないかという気持ちを捨て切れない。とにかく、清盛の死から始まる最終回の流れは良いのだが、あまりにも尺が足りなさ過ぎた。箱盛(DVD BOX)ではディレクターズカット版を収録してもらえないだろうか。撮影がされていればだが。

*1:今年の大河ドラマ「八重の桜」はみんなが大好きな幕末である。主役は現在好感度No.1の女優・綾瀬はるかである。その上舞台は福島で、被災地復興の願いも込められている。これだけ重なれば視聴率は大幅に上向くであろう……と関係者は大いに期待しているだろうが、予言すると、たいした数字にはならないだろうと思う。上で述べたように、BSや録画で見る人は今後ますます増え、数字に反映されないだろうと思うからだ。