ぬぬぬ……いや確かに裏は裏なんだけど「バイロケーション/裏」

題名バイロケーション/裏
原作法条遙
監督安里麻里
出演表と変わらないので省略
制作日本(2014年2月1日公開)
時間121分
劇場角川シネマ新宿

雑感(ネタバレあり)

映画を2本撮るのは大変だから、表と裏と全面的に違っているとは思わない、僅かの違いなんだろうとは思ったが、「表」の終わりにほんの1分程度のエンディングが追加された「だけ」だとは思わなかった。劇場へ足を運ばせるためのあざとい作戦のように感じられる(あざとい作戦は最終的には評価を下げるのでやめた方がいい)。もともと2回観ようと思っていた人はいいけれど、そうでない人は考えものだ。
「表」を観た時「ストーリーに矛盾が多過ぎて」と書いた。結局、根本的にはバイロケーションの設定がいい加減なんだと思う。

当初、バイロケは、発生した時点での本体の記憶を受け継ぐ。その後はそれぞれの記憶が積み重なっていく。いわば本体から枝分かれするわけだ。消滅したら(霧になったら)すべてが終わりで、新たに発生したバイロケは、その時点の本体の記憶を受け継ぎ、以前のバイロケとは関わりがない……というものだと考えていた。

しかし、桐村のように、何年にもわたって存在し続けるバイロケもいるから、バイロケが霧になるのは姿を変えるだけで消滅するわけではなく、意識は継続されるということらしい。それはそれでよいけれど、それではいつの本体の記憶を受け継ぐのか? 御手洗のバイロケがベランダから落ちそうになり、かろうじて手すりにつかまっている時、本体は自ら掌を傷つける。その場でその傷はバイロケに反映され、手すりを握っていることができなくなり、落ちる、というシーンがあった。少なくとも傷はリアルタイムに反映されるようだ。高村しのぶが、ずっと前に煙草はやめたはずなのに、時々口の中に煙草の臭いが広がるように感じる、と言っていたのも、依然として喫煙している桐村からの反映だろう。

してみると、記憶もかなりリアルタイムで反映されるようだ。いったいどのような通信機能で本体の記憶がバイロケに飛ぶのか不思議だが、飯塚がバイロケの会に誘ったのは本体なのに、バイロケはバイロケで「自分が誘われている」と思い込んでいるのも(だからバイロケ同志も集まる)、誘われた記憶が反映されているのだろう。

とすれば、バイロケは本体とバイロケ自身のふたつの人生を同時に歩んでいることになる。処理すべき情報量が二倍になるのだから大変なことになるが、バイロケはバイロケで自分が本体だと思い込んでいる、というのはおかしい。むしろ、自分が本体ではないとわかりすぎるくらいわかっているはずである。

バイロケが発生した時、本体の持ち物などもこぴーされるが、それらは長く存在できない。約24分で消滅する。となると、バイロケ自身がそれ以上長く存在したとして、衣服なども消滅してしまうのではないか? コピーではなく、本体の服を直接使ったり、新たに買ってきたものであればいいのだろうか?

この設定にまつわる細かい矛盾は書き出せばきりがないのでここまでにするが、もうひとつ、高村勝の視力が弱いという設定にしたのはなぜだろう。二人の結婚が高村の両親から猛反対されている理由も不明。その設定が他と関連していたようには思えないため、ことさらにそういう設定にした理由がわからないのだ。

そして、高村しのぶとまさるの仲があまり良くない。よくないわけではなく、表面的には愛し合っているようなことを言うのだが、二人の互いに対する態度は実によそよそしく、それこそ仮面夫婦を演じているかのように感じていしまう。新婚なのだから、もっとラブラブでアツアツな雰囲気があってもよさそうなものだが。だから高村しのぶが「一番大切なのは何?」と訊かれて「まさる……」と答えるのはリアリティがないのだ。

バイロケは、心が引き裂かれるような思いをした時に出現する。しのぶが、絵描きになりたい、なんとしてもコンクールで賞を取りたい、と強く思う一方で、こんなつらいことはしたくない……と思ってしまった時にバイロケが登場した。この心の葛藤が本作の主題なのだろう。「あんたも私ならわかるでしょう!? 私は男を知らないのよっ」というセリフは強烈。それだけ一途に絵に打ち込んできたのだ、彼女は……

門倉真由美が分離した理由が前回はわからなかったが、子供が難病に侵された時、ずっと病気の子どもを背負っていくのは大変だと、一瞬、子供がいなくなればいいと思ってしまったのだ。その時にバイロケが出現した。そう考えるとかなり壮絶だ。