題名 | スティーブ・ジョブス |
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原案 | ウォルター・アイザックソン「スティーブ・ジョブス」 |
脚本 | アーロン・ソーキン |
監督 | ダニー・ボイル |
出演 | マイケル・ファスベンダー(スティーブ・ジョブス)、ケイト・ウィンスレット(ジョアンナ・ホフマン、マーケティング担当)、セス・ローゲン(スティーブ・ウォズニアック)、ジェフ・ダニエルズ(ジョン・スカリー)、マイケル・スタールバーグ(アンディ、音声担当エンジニア)、他 |
公式サイト | 映画『スティーブ・ジョブズ』公式サイト 絶賛公開中 |
制作 | USA(2016年2月12日公開) |
時間 | 122分 |
劇場 | イオンシネマ新百合ヶ丘(スクリーン4/175席) |
雑感
マニア心をくすぐる内容だった、という点では二年前の同題の映画よりは好感が持てた。
驚いたのは、舞台となった場面は、Macintosh、NEXT Cube、iMacそれぞれの製品発表会の直前数十分を描いているに過ぎない。スクリーンの中で流れた時間は非常に短く、あとはすべて回想とセリフによって構成されているのだ。こういう映画もありなのか。映画史上、初めてかどうかは知らないが、実に大胆な構成であることは間違いない。ただ、これだと流れはわかるけど、ドラマがない(リアルなやりとりがないから)。長いセリフはアーロン・ソーキンさんらしいとはいえるが。
デモがうまくいかなくてスタッフを怒鳴りつけたり、うまくいくように最後まで努力を惜しまず、直前に、フロッピーを胸から出すと格好いい、と思いついて、フロッピーの入る大きさのポケットのついたシャツを大急ぎで探しに行かせる、といったエピソードは面白い。しかし、プレゼン直前の大事な大事な瞬間に、知人が入れ替わり立ち代り現われて、非難したり自慢したり金の無心をしたりするのはいただけない。邪魔にしかならないだろうと思う。強いて言えばスタッフへの謝辞をいれるように依頼に来たウォズは理解できるが、それにしても、直前に言うことはない。前日までに伝える時間はあったはずだ。
疑問なのは、なぜMacintosh、NEXT Cube、iMacなのか、だ。
Macintoshはわかる。作中では失敗したと語られるが、それはおかしい。その前のLisaは確かに失敗したが、MacintoshはAppleにとっては数少ない成功例のひとつだろう。あれは本当の意味で世界を変えた製品だ。*1
一方、NEXT Cubeは、業界の一部では注目されたが、そもそも製品が出てこなかった。というかあれはワークステーションであって、パソコンではないから、Macintoshと比較するのもおかしな話で、僕らは「高級Mac」と思っていた。IBM PCに対してMacがあったように、高機能であっても無味乾燥な他社のワークステーションに対してNEXT Cubeがあった、と考えるべきだ。いや、そうなるはずだった(だって出てこないんだもん)。
iMacは、商業的には成功したけど、技術的にはUSBをつけたことが(そしてフロッピーディスクを標準にしなかったことが)目新しいくらいで、中身はこれまでのMacと何も変わっていない。スケルトンのデザインは確かにはやったけれど、あれは「一時的にはやった」だけで、世界を変えたわけではない。
アップル社が、あるいはコンピュータが主人公なら、まだわかるが、ジョブスが主人公なら、商業的に一番成功したのはピクサーだと思うのだが、なぜその話をスコンと省くのだろうか(これは前作でもそうだが)。まあ、いろいろな考え方があるだろうが、製作者がこの三つのイベントを選んだ理由は自分にはわからなかった。
最後の方で、若き日のジョブスがスカリーを誘うシーンがあるが、この時は「あなたは人生の残りの日々を、ただ砂糖水を売って過ごすんですか?」と言ってほしかったな。