あらすじ
聖徳寺での会見。信長はさんざん待たせて利政を焦らせると、「わしが親父殿に殺されはしないかと帰蝶が心配している」とのっけからぶちかまし、「帰蝶から、この服は親父殿が好きな色だからと言われて着た」「あの軍勢も帰蝶の手配によるもの」などと、帰蝶を立てているのか自分をへりくだっているのかのろけているのかよくわからないセリフを連発し、利政を戸惑わせる。さらに、信秀恩顧の家臣は連れて来ず、控えは佐々成政、前田利家の二名のみ。この二人は家督も継げない立場だが、だからこそ戦場ではよく働くと言い、世の中は変わっていくと告げる。利政は、信長はただ者ではないと驚き、感心する。
戦にならず、無事に会見を終えたことでほっとした十兵衛は、帰宅し、その様子を母や妻に話す。よほど安心したのか、いつになく饒舌な十兵衛。が、帰蝶は十兵衛を好きだったから、離縁されて戻ってきたらいろいろと大変だと、母や妻から聞かされ、目を白黒。
東庵は駿河に行くが、100貫くれるはずの家は、病気だった子が治ってしまったとのことでお金をもらえず。今日も駒は怒っていた。代わりに太原雪斎を診察に訪ねる。雪斎は、待遇は保証するから駿河にとどまり、自分をあと二年生き永らえさせてくれと頼む。二年あれば織田を滅ぼせる。信長はやっかいな相手だ、それを滅ぼすのが自分の役目なのだと。
今川は水野のいる緒川城の攻略のため、村木砦を築く。これに対応して信長は兵を出すが、那古野城の留守を利政に依頼。利政はすぐに援軍を送ることにしたが、それを聞きつけた高政や稲葉良通が反対。信長をすっかり気に入った利政は、見捨てることはできないと強引に援軍を出すが、高政らはこれ以上利政に好き勝手にしておけないと、利政の排斥を決意。
1554年1月、村木砦の戦いが勃発。織田方も痛手を負うが、鉄砲隊を効果的に使い、とにもかくにも今川軍を敗走させることに成功。
酒に溺れた深芳野が長良川のほとりで水死。母を孤独死に追いやったと利政を責め、せめて家督を自分に継がせるとその魂に誓えと迫る。
今日の斎藤利政&織田信長
信長「今日のわしは、帰蝶の手の上で踊る尾張一のたわけでございます」
信長「これからは戦も世の中もどんどん変わりましょう。我らも変わらねば」
利政「信長殿はたわけじゃ。見事なたわけじゃ」
信長「それは褒め言葉でござりますか?」
利政「褒め言葉かどうか、帰って誰ぞにお聞きなされ」
今日の煕子&十兵衛(+牧)
牧「戦になれば、帰蝶様も離縁されてお帰りになるであろうし」
煕子「おつらい立場ですから」
牧「そうしたらまたこの館へもお出でになるであろうし、そしたら大変なことになりますからね」
十兵衛「なにが大変ですか」
煕子「帰蝶様は十兵衛さまのことがお好きですからね」
十兵衛「ぶほっ」
煕子「昔から妻木でも母がよく申しておりました。帰蝶様がいつも明智荘へお出でになるのは、十兵衛さまに会いたいからだと」
牧「まあ~~~♪」
雑感
- 会見の前に農家の陰から信長を観察する利政に、信長は気づいていた? 利政の方を見てニヤリと笑った。この会見のシーンはドラマチックなので制作陣は腕の見せ所であろうが、1973年の「国盗り物語」(斎藤道三を平幹二朗が、織田信長を高橋英樹が演じた)でもいまだに記憶に残る印象的な場面だった。この時も「道三が覗いていたことに信長は気づいていた」説を取っていた。
- 佐々成政と前田利家、セリフは一言ずつだけだったが、この二人がセットで登場したことが妙に嬉しかった。著名な武将であり、いろいろなドラマにも出てくるが、今の自分は「信長協奏曲」での印象が非常に強いので。
- 利政が信長に「帰って帰蝶に聞け」と言ったのは、キミは殺さないよ、無事に尾張に帰すから心配すんな、という意味か。
- 帰蝶が十兵衛会いたさに明智荘を頻繁に訪れていたことは、荘内だけでなく妻木までも知れわたっていた。それで十兵衛だけがわかっていなかったのか。
- 世の中は変わる、自分たちも変わらなければ、という言葉、いつの時代でも通用するともいえるが、今まさに(新コロナウイルスによって)世の中が急激に変わろうとしており、新しい時代への対応が求められる、絶妙のタイミングですごいセリフを言ったものだ。脚本を書いた時、いや収録をしている時は想像もしなかっただろうに。いいドラマというのはこういうことが起こり得るのだ。
- 村木砦の戦いで信長は初めて鉄砲を戦に使ったと番組では言っていた。21年後の長篠の戦いに到るまでには、相応の積み重ねがあるのだ。それにしても、「桶狭間の戦い」以前をここまでていねいに描いてくれた大河は本作が初めてではないだろうか?