窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

「麒麟がくる」総集編第一週「旅立ち」

放映日

  • 2020年8月9日

雑感

麒麟がくる」再開まで、三回にわたって総集編を放映する。その第一回目。帰蝶が信長に嫁ぐまでだったので、第八回までをまとめたことになる。これまで第二十一回まで放映されているから、ちょっと多目のまとめか。

半分も終わっていないドラマを三回に分けて総集編とするため、それなりにじっくりとした話になるかと思ったが、総集編は総集編。名場面を食つなぐだけで分断が激しく、ストーリーになっていない。新たに撮っているわけではなく既存の映像から抜いてつなげているだけだから致し方ないことではあるのだが。

だから、既に全編見ている人が、そうそう、こういうシーンがあったねーと懐かしく振り返るにはいいだろうが、見たことのない人がこれを見ても、どんなドラマかは伝わらないのではないか。

総集編が既存の映像から抜いてつなげているがゆえの宿命なのだが、登場回数が少なくても、登場する時はその回において主役級の働きをするキャラクターというのは、総集編においても光を当てやすく、印象に残りやすい。たとえは足利義輝、三淵藤英、松永久秀などである。土岐頼純もそうかも知れない。本編においても一回登場しただけだが、総集編でもきっちり存在を示した。

一方、本編ではほぼ毎回のように登場し、いろいろな意味で主人公の動きや考えに影響を及ぼしはするものの、話の展開に直接関わって来ない人を、総集編で登場させるのは難しい。明智光安、牧、菊丸、望月東庵などがそうである。光安、牧、菊丸は、とにかくどこかで登場させないと、ということで総集編でも一場面ずつ登場したが、あまり必然性のある場面ではなかった。駒はさすがに何度か登場はしたが、傷を負った十兵衛をなぜ駒があそこまで献身的に看病したのか、総集編ではさっぱりわからない。でも、それがわからないと、本当は駒を登場させる意味がない。

わからないといえば、終盤で帰蝶尾張に行きたくない、私を守ってほしいと十兵衛に泣きつくのは、単に信長に嫁ぎたくないというだけではないのだが、それも総集編だけ見ていてはわからない。だから、その十兵衛に、尾張に行くべしと言われ「十兵衛が申すのじゃ。是非もなかろう」と答えた帰蝶が、このセリフにどんな思いを込めたのかもわからない。

ついでに言えば、帰蝶ツンデレならぬツンツンで、十兵衛に対してはきつい言い方ばかりするが、鶴を追いかけただの牧のご機嫌伺いだのと理由をでっちあげては明智荘に入り浸っている目的を、付近の人は(遠い妻木の人も)皆知っているのに、十兵衛だけが気付いていない、というのもこのドラマの面白さのひとつなのだが、もちろんそんな場面もなし。

そうした人情の機微がちゃんと伝わってこそのドラマだ。毎年、年末に総集編を見ると思うのだが、総集編は総集編で別に脚本を書き、本編と合わせて総集編用に別撮りもしておく、ということはできないものか。

今回はイレギュラーな対応であるが、手間をかけて総集編を作るのではなく、これまでの21回の中から三つ四つ選んで再放送をした方が、新たなファンを取り込むにも良かったのではないか。粗筋紹介だけなら、ナレーションを駆使して15分くらいでまとめ、サイトに置いておくとか、8月30日の再開前に放映するとかした方が、需要はあるように思う。



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