窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

「カムカムエヴリバディ」(19):「たちばな」の復興

第四週「1943-1945」(木)

放送日

  • 2021年11月25日

概要

入手した砂糖を使い、金太は餡をこしらえ、雉真の人に提供する。千吉らは「懐かしいたちばなの味だ」と言って喜ぶ。

雉真では、本社工場は焼失したが、水島の工場が生きており、足袋の生産を続けていた。千吉は、軍の仕事を請け負っていたから悪く言う人もいるが、足袋の生産を続けてきたことを評価してくれる人もいる、稔が帰ってきたら、足袋、学生服の生産のほかに、何か新しい事業を始めたいと金太に語る。

10月、百貨店が再開される。少しずつ復興が始まる。

安子と町を歩いていた金太は、たちばなを再開させる決意を語る。苦しい時こそお菓子は必要だ、たちばなの菓子に救われる人がいるはずだと。

金太はたちばなの店の跡に瓦礫を集めて掘っ立て小屋を建て、雨露をしのげるようにすると、そこで寝泊まりをし、菓子作りを再開。店頭で売り始める。安子も仕入れ・菓子作り・販売と全面的に協力。

ある日、戦災孤児が菓子をかっぱらっていく。金太は追いかけ、金を払えと詰め寄るが、その子は「ないものはない」と開き直る始末。金太は菓子1ケースをその子に渡すと、これを売ってこい、という。うちでは一個2円50銭で売っているが、いくらで売ってもいい。売った一割がお前の取り分だ。その中から代金2円50銭を払えと。周囲のものは、戻ってくるわけがないと笑うが、金太は、あの子は算太に似ていたという。だからほっておけなかったのだろう。

夜、翌日の仕込みをしていると、戸を叩く音がする。「おっちゃん、おはぎのおっちゃん」昼間の少年の声だ。戻ってきたのだ。驚いて戸を開けると、そこにいたのは算太だった。算太が戻ってきた。

算太は「おはぎが金持ちに高く売れた」といって札束を取り出す。その詐欺まがいの手口に金太は「算太!」と怒鳴りつけるが、「よく戻ってきてくれた……」と相好を崩す。そして、杵太郎、ひさ、小しずを死なせてしまったことを詫びる。算太は、戦争だったのだから、仕方ない、そんなに気を張るなと言い、ラジオをつける。エンタツアチャコの漫才が流れ、かつて橘家でラジオを楽しんでいたシーンが回想される。金太、職人さんたち、小しず、幼い安子、算太、ひさ、杵太郎。そして一転、現在の掘っ立て小屋に全員が集合。おはぎを食べながら笑い転げるシーンにナレーションがかぶさる。

「金太が亡くなっている、という知らせが入ったのは、その翌朝のことでした」

今日の金太と安子

「安子、たちばなを立て直すで。戦時中、菓子はぜいたくじゃと言われて、作るなと言われた。しかし、苦しい時ほど、菓子は必要なもんじゃとわしは思う。たちばなの菓子で救われる人が、きっといるはずじゃ」

今日の金太と算太

「父ちゃん、もうそんな気を張るな。こんなんじゃけど、まだわしが生きてる。安子も生きてる。そうじゃろ?」

雑感

母のこと

私事であるが、自分にはかつて兄がいたが、兄が小学生の時に病気で亡くなっている。難病であり、手を尽くしたものの医学の力及ばずで、致し方ないことであったが、母は「私が死なせてしまった」と随分と悔いていたようだ。その数年後には父も類似の病気で亡くなったため、遺伝的な何かがあったのかも知れない。その後、母一人で自分を育てるのは苦労しただろうが、それも50年以上前の話。今となってはさすがに過去のことになっていると思っていた。が、つい先日も母は兄の写真に見入っていて、「私が死なせてしまった。生きていたら楽しいこともたくさんあったのに」とつぶやいていた。それを見て、どれだけ時が経っても、母の中では風化はしないんだな、ということと、母が死ぬ時に、最後に思い浮かべるのはきっと兄なんだろうな、ずっとそばにいて支えてきた自分ではなく、と思った。

今日のこのドラマを見て、最後に思い浮かべるのが(自分ではなく)兄であっても、それで安らかに眠れるのならば、それもいいか、と思えた。

何が起きたのか?

アバンで、杵太郎、ひさ、小しず等の名前が出てきたが、「回想」とついていなかったので不思議に感じた。少年の声なのに戸を開けたらいたのが算太で少年の姿が見えなかったこと、おはぎを売り歩いたことを算太が得意になって吹聴していること、電気が通っているはずのない小屋にラジオがあることなど、「???」という状態であったが、最後のナレですべてがわかった。要はフランダースの犬(またはマッチ売りの少女)だ。

少年は戻ってきた。売上報告をして、金を渡そうとしたが、その時既に金太は虫の息であり、戻ってきた少年が彼には金太に見えたのだ。そして頭の中で、幸せだった時代を思い浮かべ、そのまま息を引き取ったということだろう。

なお、掘っ立て小屋での配置だが、金太の向かって左側に小しず、ひさ、杵太郎、職人さんたちがいて、右側に安子、算太がいる。そして、金太と安子の間が少し空いている。これは、金太を境にして、彼岸と此岸という暗示なのではあるまいか? 今日の算太は金太の妄想だから、現実の算太が生きているかどうかはわからない。生きていてほしい。

その他

  • タミが雉真に戻ってきていた。
  • 岡山の百貨店、天満屋は「6月29日の岡山空襲により全館焼失するが(中略)10月10日に1階南半分を売場として営業再開、当時商店がほとんどなく、市民の間に大きな話題となった」(天満屋のサイトより)
  • 金太がたちばなの復興を口にする直前に米兵の乗ったジープが走り、それを子らが追いかけていた。米兵の配るチョコレートやキャンディ目当てであろう。それを見て、「日本にはチョコレートはなくてもおはぎがある」と思ったのではないか。
  • 金太と安子が二人で餡をこねるシーン、金太の手がわずかに震えているように見える。気丈にに振舞っているが、体調はよくなかった?
  • 隙間風の入る掘っ立て小屋で寝泊まりは、夏はともかく寒くなったら身体によくないに決まっている。雉真に対する遠慮かと思ったが(それもあっただろうが)、金太が戻ってきた時に、自分がそこにいなければ、と思ったのだろう。
  • 安子が父に、「寝泊まりだけでもうちに来たら」と誘う。こういうことを自然にいえるのは、千吉の人柄なのだろうな、と思う。安子は、いろいろつらいだろうが、よい婚家に嫁いだと思う。



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