第21週「1994-2001」(火)
放送日
- 2022年3月22日
概要
ラジオ英語講座を聴くために早起きしたひなたは、番組が始まるまでの時間、るいから昔話を聞かせてもらうことに。二人はこれから毎朝一緒に小豆を炊き、ラジオ英語講座を聴く約束をします。数日後、錠一郎がある人物を家に連れてきて……(NHKオンデマンドの解説より)
ジョーが連れてきたのはトミーだった。ジョーは家族の前で音楽活動を再会することを告げる。トミーが後押ししてくれることも。ひなたは英語の勉強を続ける。
今日の大月家
「トミーはお父ちゃんとお母ちゃんの友だちや」
「またでっかい新情報」
今日の大月家(その2)
「るい、僕、また音楽活動を再開するよ」
「ま、ちょっと時間はかかるかも知れへんけど、待ってて。僕がアメリカに連れて行くから」
今日のひなたの日記
Today, Tommy Kitazawa visited my house. My father is going to play the piano. My mother is very happy.
トミーを呼び捨てはよくないね(笑)。
今日の虚無蔵
「日々鍛錬し、いつ来るともわからぬ機会に備えよ」
今日のひなたの日記(その2)
At the end of the year, Sayoko gave birth to a baby boy. Kiyoko was ever to hold her great grandson in her arms before she passed away.
雑感
小豆の歌
これまで寝坊かつ家の手伝いをしないひなたは、あずきのおまじないを知らなかったが、英語の勉強のために早起きする必要がある→2階で寝ていると寝過ごすから1階で寝る(るいに起こしてもらう魂胆か?)→小豆を煮ているるいの姿を見る→あずきのおまじないを知る、と、よくできている。ここで初めてつながった。
突然、次々と両親について「新情報」が出てきて、詳しいことをひなたは知りたがるが、一度に訊かれても答えられないから、毎朝、小豆を煮ながら少しずつ話してあげる、とるいに言われてひなたは付き合うことにする。こうして、餡子作りがるいからひなたに受け継がれる。ほんと、よくできている。
ひなたは子供の頃、るいの額の傷を「旗本退屈男みたいでカッコいい」と言ったことがあった。今回の「おばあちゃんは進んだ人やったんやな」もそうだが、当人は深く考えていないけどるいの気持ちをぐっと楽にする時がある。ひなたにこう言われなかったら、安子が進駐軍と駆け落ちしたことをるいはこんなにサラリと言えなかったのではないか。ひなたのてらいのなさに、るいは何度も救われている。
ひなたの勉強法
毎朝ラジオ(遠山顕先生の英語会話だ)を聞くだけでなく、テープに録音して、夜も聞いて発音練習、テキストは暗記する、そして英語で日記を書く。テキストの丸暗記と英語の日記は力がつくと思う。現に、日記の英文はどんどん高度になり、それを読み上げるひなたの発音も回を追うごとにうまくなっている。
番組では、1994年の夏から1995年の年末まで、少なくとも一年半、これを続けている。何をやっても長続きしなかったひなたが、よくこれだけ続けられるもの。平川先生の教えと虚無蔵の檄、そして使命感によるのだろうが、るいが一緒に聞いていて、テキストも見ずに流暢にシャドウイングしているのも刺激になっているのではないか。
なお、辞書はるいからプレゼントされた、稔さんのを使っている。稔→安子→るい→ひなたと受け継がれてきた思い出の品だが、この辞書は大切にしまっておいて、新しいのを買った方がいいと思うよ……。ひなたは高校時代に英語の辞書を使っていたはずだが、それはどうした? 卒業した時に捨てちゃったのかな?
ジョーの音楽活動再開
1994年の夏にトミーに意思を伝え、ピアノの先生を(奈々に)探してもらい、家族の了解を得て活動開始。大月家でピアノを購入した様子がないから、ピアノ付きの練習場所での練習なのだろう。そのあたりは自分としては気になるところだが、物語の大筋には関係ないため描かれず。そして一年後の1995年8月16日、トミー北沢スペシャルセッションにピアノで参加、これがデビューステージになる。いくらなんでも一年でプロのレベルになれるのかと思うが、場所はNight&Dayだった。もともとジョーのホームだから、ジョーのために用意されたステージということだろう。
その他
- 小夜子が男子を出産。あかにしの清子さんはひ孫の顔を見た後旅立った。
- 桃太郎が岡山から帰って来た時に雪衣の梅干しをお土産だといって持ってきた。るいはこれを喜んだ。安子がいなくなったあと、岡山を出るまでの12年間、るいは決して無味乾燥な日だけを過ごしていたわけではない。雪衣の梅干しをおいしいと言って食べた日もあったのだ。そして雪衣もそれを覚えていた。
- 桃太郎は岡山の大学に進学し、雉真の家に住まわせてもらい、そこから通うことに。学費は、昔るいのために積み立てておいたお金を遣うという。積み立てていたものが、そのままの形で今も残っていたわけではないだろうが、るいのために何かしてやりたいという勇の気持ちに応えた形だろう。お金もそうだが、老夫婦二人の寂しい生活に桃太郎が同居するとなれば、嬉しさもひとしおだろう。桃太郎が高校卒業後、雉真に就職するのでは、と予想した人が多かったが、それはあまりに安易な選択なので、厭だなと思っていた。そうならなくてよかった。