| 西暦年 | 安子 | るい | ドラマの出来事 | 史実(ドラマに関係したことのみ) |
|---|---|---|---|---|
| 1925 | - | - | 安子生まれる(3月22日)。なお算太が生まれたのは1920年(大正9年)8月1日 | JOAK(東京放送局)でラジオ放送始まる(3月22日) |
| 1926 | 1 | - | ||
| 1927 | 2 | - | ||
| 1928 | 3 | - | ||
| 1929 | 4 | - | ||
| 1930 | 5 | - | ||
| 1931 | 6 | - | ||
| 1932 | 7 | - | ||
| 1933 | 8 | - | ||
| 1934 | 9 | - | ||
| 1935 | 10 | - | 赤螺吉右衛門生まれる/ラジオが橘家にやってくる/桃山剣之介デビュー | |
| 1936 | 11 | - | ||
| 1937 | 12 | - | ||
| 1938 | 13 | - | ||
| 1939 | 14 | - | 算太大阪へ/杵太郎引退/安子は小学校を卒業し家事手伝い/稔と出会い「実用英語会話」を聴き始める/朝岡神社の夏祭り | ノモンハン事件(5月11日)/和歌山・海草中の嶋清一が準決勝と決勝の2試合連続でノーヒットノーラン達成による優勝/ドイツがポーランド侵攻、第二次大戦始まる(9月1日) |
| 1940 | 15 | - | 稔、正月は帰省できず/弓岡中、県予選決勝で敗退/稔、夏も帰省できず/算太、いったん帰省するもすぐに逃げ出す。金太、算太を勘当/大月錠一郎の誕生日(12月25日) | |
| 1941 | 16 | - | 安子、大阪まで稔を訪ねて行く。伝説の大坂デート/夏、弓岡中は予選の準決勝まで進むも甲子園大会が中止 | ナチス・ドイツはソビエト連邦に対して宣戦布告(6月22日)/真珠湾攻撃(12月8日)、日本は英米との全面戦争に突入 |
| 1942 | 17 | - | 春休み、稔は大東亜銀行の頭取の娘との縁談を薦められる/夏休み、稔は安子と会う約束をするも果たせず/美都里が安子と顔を合わせ、きぬが稔に会いに行く | 日本軍は1月2日マニラ、2月15日シンガポール、3月8日ラングーンを占領し、3月9日ジャワ島のオランダ軍を降伏させるなど、開戦後約半年の間に東はギルバート諸島とソロモン諸島から西はビルマにいたる広大な地域を占領/ミッドウエー海戦で敗北し制空権・制海権を失う(6月5~7日) |
| 1943 | 18 | - | 杵太郎死去/稔と安子、結婚/12月、稔は出征 | 10月1日、理工系と教員養成系を除く文科系の高等教育諸学校の在学生の徴兵延期措置を撤廃(いわゆる学徒出陣) |
| 1944 | 19 | - | 安子、るいを出産(9月14日)。勇も出征(11月ごろ?) | 北九州の八幡製鉄所を目標にB29来襲、これが初の戦略爆撃(6月)。その後アメリカはマリアナ諸島に大規模な航空基地を建設し、日本本土の大半がB-29の攻撃圏内になった。11月29日には、東京工業地域を第一目標とした最初のレーダー照準による夜間爆撃が行なわれた |
| 1945 | 20 | 1 | ひさ、小しず、赤螺吉兵衛、空襲で死去/金太、死去/勇、帰還/稔の戦死の報が届く | 東京大空襲(3月10日)/岡山大空襲(6月29日)/終戦(8月15日)/岡山の天満屋、営業再開(10月10日)/「基礎英語講座」再開(11月) |
| 1946 | 21 | 2 | 安子、るいを連れて雉真の家を出る(1月)/小川家と知り合う(2月) | 平川唯一の「英語会話」開始(2月1日)/全国中等学校野球大会が西宮球場にて再開 |
| 1947 | 22 | 3 | 安子、「たちばな」の看板を出しおはぎを売るようになる/リヤカーで配達中に事故に遭う(いつ?) | 甲子園大会が再開 |
| 1948 | 23 | 4 | 安子、大阪へ戻って来る。豆腐屋の店先でおはぎを売る/花屋の通訳が縁でロバートと出会う/進駐軍のクリスマスパーティーに参加、定一が歌うのを聞く。算太の帰還(12月25日) | |
| 1949 | 24 | 5 | 勇、雉真繊維に野球部設立/美都里、クリスマス前に逝去 | |
| 1950 | 25 | 6 | ||
| 1951 | 26 | 7 | 勇、安子に求婚/るい、小学校へ入学/安子、るいを置いて家を出る | カムカム英語終了(2月9日) |

