窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

結論ありきの思考

正月に親戚(主に自分より上の年代の人たち)と会う機会があった。いとこに、僕と同年代(少し歳下)で独身の男性がいる。「あいつにもいい加減、嫁さんを見つけてやらなきゃな」と言い出す人がいて、ひとしきり彼の話題になった。そのうちに、「いい子なんだけどちょっと×××なところがあるからねえ〜」「まあこの年まで結婚できないんだから、そりゃあ△△△だわな〜」などと誹謗中傷大会に発展。

彼が「お願いですから嫁さんを見つけてください」と親戚中に頼んでまわっているわけではない。男やもめに蛆がわいて近所迷惑というわけでもなく、きちんと生活しているようである。本人が結婚したいのか、別に独りでいいやと思っているのか、籍は入れていないけれど彼女がいるのか、そのあたりも全くわからないままの、勝手な物言いである。ひどい話だが、聞いていて、あ、これってなんかデジャブ……と思った。

平清盛だ。

大河ドラマの話題も出て、どうも、その場にいた人のほとんどは、それなりには見ていたようであった。もちろん僕のように毎週欠かさず正座して見る、という人は他にはいなかったが、毎週ではないにしても見たとか、しみじみとは見ていないがテレビはつけていたとかいう人は多かった。真剣ではなくても見ていればその面白さが多少はわかっただろうといろいろ訊いてみると、「確かに、面白いと思ったシーンもあったけど、でも……」と、昨年の大河のどこがダメだったかを滔々(とうとう)と語り出す。最初はイライラしながら聞いていたのだが、だんだん飲み込めてきた。

要するに、結論ありきなのだ。視聴率が悪いからダメ。新聞にダメと書いてあったからダメ。自分で実際に見て、自分がどう感じたかは関係なし。面白いと思ってしまったとしても、これはダメな作品なんだから、ダメだと思えなければダメだ、と思って見る。そしてどこがダメかを探す。ダメな理由が分析できる自分はカシコイ、というわけだ。

ダメな理由としてもろもろ挙げた中には、どこかで散々聞いたような話もあったが、一応見ていなければ言えないような観点もあり、その意味ではこうした話をする人は頭は悪くないのだ。観察力も分析力もある。しかし、知性ある社会人として最も大切な「自分で判断する」ということだけができない。世間がダメだというものはダメ。その線に沿って考える姿勢が、もう何十年もしみついているのだろう。

独身の彼氏の話と同じだ。本人は結婚をどう考えているのか、そもそも結婚は必ずしないといけないものか、といった点は一切考慮せず、結婚しないのはダメ人間、という結論だけがある。個別の事情は斟酌しない。その結論に基づいて、どこがどうダメなのか、という方向のみに頭が働くのだ。

平清盛」で繰り返し語られた「心の軸を持つ」というのは、こうした生き方の対極にあるものだろう。そして、このような主張に拒絶反応を示した人によって「平清盛」というドラマが否定された、というのが昨年の大河ドラマの構図だったのではあるまいか。