窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

NHK大河第24話「清盛の大一番」

本放送が見れなかったため、再放送を視聴。重たい話が続いたから、今回はいわゆる「抜き」の回かと思っていたら(「新選組!」で「友の死」のあとが「寺田屋騒動」という全編ギャグの回だったように)、今回も十分すごい回だった。

出演

粗筋

信西は、保元の乱で壊された内裏の修復を見事に行ない、後白河天皇に喜ばれる。といっても、この修繕費用の大部分は清盛から出たもの。信西は、政治改革を行なうに当たって平氏の金と武力を当てにし、平氏信西を当てにして出世を目論む、というわけで共闘することにしたのだ。今回の恩賞で清盛の公卿(従三位以上)昇進は見送られたが、

  • 経盛(清盛の弟、三男):従五位の下
  • 教盛(清盛の弟、四男):従五位の上
  • 頼盛(清盛の弟、五男):従四位の下
  • 重盛(清盛の長男):従五位上

あれ、なんか兄弟順と官位の順が逆でない? 何か間違えている?(ちなみに、清盛は正四位の下、義朝は正五位の下)

信西は、相撲節会(すまいのせちえ)という行事の復興を計画するが先立つものがない。実は鎮西(九州)は土地は広く作物も豊富に獲れるが税収が低い。そこできちんと税を納めさせるために、清盛を鎮西へ派遣する。清盛は、それならと大宰大弐大宰府の次官)を望むが、さすがにそれはちょっとと断わられる。

鎮西で清盛は原田種直に会う。原田によれば、鎮西は不逞の輩が多く、租税の徴収は簡単ではないのだという。そこで兎丸を一暴れさせ、ならず者の取り締まりに手を貸そうという。結局、あっというまに鎮西は清盛の手に落ちる。「鎮西からは規程の租税を取り立て、朝廷にはできなかったと報告し、差額を懐に入れるという寸法やな」という兎丸に「ちゃんと報告する」と清盛。これは俺と朝廷との相撲なのだ、いかなる技をもって相撲に勝つか、よく見ておけと。

相撲節会の宴の膳の準備を担当することになった清盛は、鎮西で知った緑茶を配膳する。相撲そっちのけで緑茶に興味を持った後白河帝は、「膳の用意をしたのは誰か?」「清盛です」「……清盛を大宰大弐にせよ」。朝廷との相撲は清盛が勝ったのである。

今日の源氏

義朝は、「父親を殺してまで朝廷に媚びたものの、出世も左馬頭(さまのかみ)とまり……」的な噂に苦しめられる。信西に会いに行くが会ってもらえず、藤原師光に官位を願い出るが、たいした貢献もしていないくせにとあしらわれてしまう。

一方、由良の働きかけにより、頼朝は統子内親王に仕えることになった。が、その祝いの席で由良が倒れる。統子は義朝に、これ以上由良に苦労をかけるなと言い、義朝は、それには自分も清盛と同等の出世をすることだと考えるがうまくいかず、袋小路に。保元の乱の時はむしろ清盛より勇ましく、猛々しかった義朝だが、どうも近頃は為義パパにそっくりになってきた。

今日の朝廷

美福門院と守仁が後白河帝に会いにいき、私どものために内裏の修復をしていただきありがとうございます、とかまし、譲位をせまるが後白河帝は応じない。美福門院は守仁の養母になっていたようだが、どういういきさつによるものだろうか。美福門院といえば、鳥羽院との対立のもとを作ったような人。そんな人に自分の子を任せるなんて、新たな火種を作るようなものだと思うのだが……

でも結局、譲位することに。

今日の平氏

藤原成親の妹・経子と重盛の縁談が成立、婚礼の儀を取り行なうが、急に重盛が、「跡継ぎたる覚悟が固まりませぬ」などと言い出す。叔父を斬れと命じた信西と父が仲良くしているのが理解できないのだ。清盛は重盛を投げ飛ばし、「つまらぬことを言ってないで、はよう子を作れ」と重盛の言い分などどこ吹く風。

私たちの盛国

清盛が重盛に、経子との縁談を告げ、「今が一門にとってどういう時かわかっておろうな」と言い放つが、これは清盛が明子と結婚しようとした時に、家貞から言われた言葉だった。家貞はそう言って身分の低い明子との婚姻に反対したが、清盛は我を通した。一方、自分が棟梁になると、同じセリフを言って息子に政略結婚を押し付ける。そのことを家貞が感慨深く盛国に話すと、盛国は、「その時よりも今の方が、背負っているものがはるかに大きいからでしょう……」と答え、家貞は盛国が逞しくなったと感激する。

感想

全然息を抜く場がない。

清盛はぐっと成長し、すっかり棟梁としての貫録が備わってきた。穏やかで自信に充ち溢れ、迫力十分。鎮西の原田ごとき、ひとにらみで手中にしてしまうところなど、凄味を感じさせる。その上、政治力も備わってきて、義朝との差が大きく開いた。清盛も、義朝も、今は亡き父親にそっくりになってきた……そっくりだと感じさせる演出が見事。

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