窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

NHK大河第49回「再び戦を学ばず」

粗筋

山本覚馬、大殿様が息を引き取るの巻。日清戦争が勃発。

雑感

今さらドラマとしての出来栄えを云々してもはじまらないのでそれは言わない。ただ、結局このドラマは何が言いたいのか? という点で、前半と真逆になってきたのでびっくりした。

もともと多くのドラマや小説その他に描かれる「幕末」は、薩長史観に基づいている。徳川幕府は統治能力を失い、国際感覚がなく、将来を見据えることができず、有能な人材*1を育成するどころか軒並み罪をかぶせて排除した……そんな彼らに代わって、薩長の人たちが世の中を一新し、明治大正を通じて世界の列強に連なる国に引っ張って行ったんだと。会津は最後まで徳川に味方して抵抗したから滅ぼされて当然なのだと。

登場する幕臣は、勝海舟などごくごく一部の人間を除いてみな愚鈍に描かれ、諸外国の事情に通じ真に国の未来を憂える志士はみな外様である。譜代のはずの土佐藩も新政府側についた。徳川宗家も最後はあっさりと万歳をしたのに最後まで抵抗した会津は世の中の動きが全然わかっていない人たちだった。

新選組はそれなりに人気があり、カッコよく描かれることが多いが、これとても、己の信念に命を賭け、最後は負けるとわかっている戦いに敢えて進んでいく「滅びの美学」が日本人の感性に妙にマッチしているからだろう。人を殺せば世の中が変わるわけではないし、内部分裂を繰り返し、敵に殺されたより味方に殺された人数の方が圧倒的に多いなど、決して賢い人たちだったと認知されているわけではない。彼らのような人斬り集団を養っていたことも、また会津のダークな側面として紐づけられている。

こうした風潮の中、珍しく(太河としては初めて)一貫して会津の立場に立ち、上記は薩長の一方的なプロパガンダであって、「会津にも義はあった」、会津人にも山本覚馬を初め憂国の士はいた、というのを描いたのが本作の会津編だったと思うのである。薩長の人間が必ずしもすべてに正しかったわけではなく、自分たちの立場を守るために会津に犠牲を強いたのだと。こうした会津(福島)の犠牲の上に成り立つ中央の繁栄という構図は、現在でも変わっていないじゃないかということをきちんと描いていたところに価値があったと思うのだ。

それがなんですと? 「薩長にも義はあった」ですって? 「会津は別の道を選ぶこともできたはずだ」ですって? 

要するに、前半で会津を徹底的にageてきたのに、なんでここで掌を返してsageちゃうんですか!? ということですよ。おかしいじゃん。

こういうのを見せられると、やっぱり会津編がどこかの偉い人の逆鱗に触れてしまったんじゃないかという「陰謀説」が、自分の中で再燃してしまう。そのような横槍が入ったがために制作陣がすっかりやる気をなくしてしまったのが明治編だと。そう思えばあの内容(ドラマとしてのレベルの低さもそうだが、政治に全く触れずに家庭内・学校内騒動ばかり描いていたこと)にも納得できる、というか、そうとでも思わなければ納得できない。

再び「京都守護職始末」が登場した。川崎尚之助の意思を継いで、この草稿を山川兄弟が完成させるのだそうである。以前も書いたが、どうして山川兄弟の偉業をこんな風に貶めなければならないのだろう。この点も納得がいかない。