窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

「鎌倉殿の13人」(20)

題名

  • 「鎌倉殿の13人」第20話「帰ってきた義経

放送日

  • 2022年5月22日

登場人物

今日の退場者

概要

京を離れ、奥州へ逃れた源義経。しかし、温かく迎え入れてくれた奥州の覇者・藤原秀衡が程なく死去。これを知った義時は、状況を探るため平泉行きを志願するが、義経の才を怖れる源頼朝は、藤原国衡・泰衡兄弟の仲の悪さにつけ込み義経を討つよう冷たく命じる。八重に見送られ、平泉へと発つ義時。一方、捕らわれた静は鎌倉で……。(NHKオンデマンドの解説より)

義経を生かすなと指示された義時は、その任務を忠実に果たそうとする。義経は、義時の企みに気づくが、自分の首で藤原氏が守れるなら安いものだと覚悟を決め、自分の考えた鎌倉攻めの手を義時に託す。梶原景時ならわかると言って。その作戦を聞いた景時は、もし本当にその方法で攻められたら鎌倉は間違いなく滅んでいたと青ざめる。

静御前は捕らえられる。義経から、もし捕まっても生きていたければ自分のことは知らないふりをしろと言われていたが、舞を舞えと言われて見事に舞ってしまう。白拍子であることが自分自身なのだからと。

里は、京都で刺客に襲われたのは自分の手引きだと義経に告白。怒った義経は里を刺殺(という解釈でよいのだろうか)。

義時にそそのかされた藤原泰衡義経を襲い、その首を鎌倉に届ける。頼朝は首を抱き、涙を流す……

雑感

神回が続いているというか、とにかくずっと面白い。

奥州へ戻った義経は、秀衡から、素晴らしい、見事だと最大級の賛辞を受ける。義経は、頼朝にただこう言ってほしかっただけなんだろうなあ……。

サイコパスだと思っていた義経が、今ではなんとも愛おしい存在に思えている。なぜこの人間が死ななければならなかったのか。覚悟を決めてさっぱり明るく振舞っている義経武蔵坊弁慶がまた……

出陣の前にファッションショーのように装束を何度も義経に確認にくる武蔵坊が可愛い。これが最後だから、もう一回だけ主に会って話しかけちゃおう、ということか。その弁慶の立ち往生どころか、最後の大立ち回りを全く見せない演出も見事。却って想像をかきたてられる。

里の最期についてはよくわからない。誰ともわからぬ兵の手にかかって殺されるよりは、今ここで義経の前で死ぬ方がいいという判断があったのはわかる。ニュース記事やtwitterなどでも「義経が殺した」としているが、義経は「お前がやったのか、お前が!」とつかみかかりはするが、「刺す」動作はしていないと思う。死ぬほどの傷であるならば、殺される方も相応の衝撃を受けるだろうし声も出るだろう。それもなかった。だから、里は既に陰腹(?)を切っていたのではないか、とも思うのだが、それはそれで不自然である。ここのところは、他の人はあまり問題にしていないようだが、自分には謎である。

タイトルを見た時は、義経は奥州に帰って来たという意味だと思った。が、鎌倉に帰って来たこととダブルミーニングだった。それは最後の数分でわかる。こういう演出も好きである。

頼朝は「聞かせてくれ、いかに平家を滅ぼしたのかを」とつぶやくが、それを生きた義経に言ってやれなかったのか……。
(2022-05-27 記)