粗筋
エピの要約は下記のサイトから引用する:
- 『龍馬伝』第11回(ヒマラヤスギ雑記、2010/03/15)
加尾を失ったことで龍馬は強くなったのだろうか、第11回では今までは見られなかった龍馬の図太さが描かれた回だった。面白かった。「桜田門外の変」に刺激を受け、攘夷の使命に燃える武市半平太は、下士を煽りたててしまい、その結果下士が上士を斬り殺すという事態が起こる。結局事態を収拾したのは、いきり立つ上士の刀の中に、丸腰でたった一人で赴いた龍馬だった。この件をきっかけに吉田東洋も武市半平太も龍馬に一目置き、そして双方、龍馬を自らの陣営に取り込もうとし、龍馬に選択を迫るという話。
なんとすっきりした要約だろう。そのあとに続く、龍馬、武市、吉田東洋、岩崎弥太郎のこの時点での性格・状況分析は見事。こんな素晴らしいレビュー書かれちゃ、もう何も書けない。でも書く。
龍馬の変化
女を失うことで(その哀しみを力に変えて)男が強くなる、というのはある種の男性にとってファンタジーなのだろうか? 漫画の「北斗の拳」でもそんなストーリーだったような。僕は嫌いだ。
龍馬は今ぐんぐん大きくなろうとしている。いや、既に大きくなっている。それは、意見が分かれたはずの武市が土佐勤王党に真っ先に引きずり込もうとし、吉田東洋が「上士に取り立てちゃる」とまで言ったほど。そうなったのは、江戸での剣術修行、黒船を見たこと、桂小五郎や吉田松陰との出会い、河田小竜の教え……などなどによるもののはずで、加尾と付き合おうと別れようと関係ないはず。
そういえば、生瀬勝久の吉田松陰もリリー・フランキーの河田小竜も、印象的に登場したが、まさかあれっきりということはないよね? でもその後全く出てこないところをみると、どうやら使い捨てキャラだったっぽい。この時代の龍馬の思想に最も影響を与えた二人が、ただの通りすがり扱いとは、ちょっと解せない。
下士による上司への仇討ち
下士の虎之進が上司の鬼山田を斬り殺したのは、武市が煽ったせいだとされるが、もともとは山田が虎之進の家族を故なく殺したのが理由。これまでなら泣き寝入りをするしかなかったのが、こんなことは許されることではないと声を挙げたのだ。なぜそれが「武市さんが煽るから……」「俺が言い過ぎた」になってしまうのかなあ?
そもそも水戸浪士が井伊直弼に天誅を加えたのは、全国の志士たちの魂をゆさぶったはず。国政の最高責任者が舵取りを誤れば、名もなき浪士であってもそれを糺すことができるのだと、志士たちがいきり立ったのは土佐藩だけではないですろう。武市が何も言わなくても、結果は同じだったと思いますき。
志士とはいうが
龍馬に「武市さんは異国と争うと言いながら、やっとることは東洋との喧嘩じゃ」と言わせるが、それはどうだろう。
幕末に出でた多くの志士――志(こころざし)のある士(さむらい)たちは、本当に日本のことを考えていたのだろうか。そんなのはほんの数人であって*1、99%の人は、260年間虐げられてきたフラストレーションを時の権力者にぶつけただけだと、僕は思う。これまでは身分制度の枠の中で、言われたことに従うしかない、逆らうことも、逃げることもできなかったのが、自分たちでも何かができると思え、実際に行動を起こすたびに世の中の風向きが変わることで、とてつもない快感と興奮を得た結果が、ご一新につながったのだ。「勤王」とか「攘夷」なんて単なる旗頭であって、極端なことを言えば中身はどうでもよかったんだと思う。
だから龍馬のセリフは一応もっともに聞こえるけれど、この時点での龍馬がそこまで見えていたとは思えないし、また武市にしてみれば、東洋とガチで喧嘩するために土佐勤王党を作ったみたいなものだから、「おまえ何言ってんの?」という感じではなかったか。
リンク
- 龍馬伝 第十一回 ゼーレ、侍魂の座(小説読みたい、2010/03/14)
武市は、真面目で、勤勉で、努力家で、人格者だったけど(当時基準)、はっきり言ってそれほどの傑物ではなかったのではないだろうか。