窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

のだめは覚悟を決めたのか?

のだめカンタービレ」ドラマ最大の焦点が映画「後編」で解決されないと困るのだが、実はいまだにすっきりしていない。

野田恵(のだめ)は、桃が丘音大に入った時点では幼稚園の先生になるのが目標だった。が、千秋と出会い、「今のままではいつまでも千秋と一緒にはいられない」ことに気付き、「上を目指す」ことを決意。パリへの留学を決めた。この時点でのだめの夢は、いつか千秋先輩とコンチェルトを弾くこと。これがテレビ編。

コンセルヴァトワールに入学してからは、壁にぶつかり、つらい思いをすることになる。こののだめの葛藤と、それをいかに乗り越えるか、というのが、パリに行ってからあとの一貫したテーマになるのだが、のだめの考える「上」というのは千秋先輩と共演することであり、それ以上の具体的なことは何も見えていない。せいぜいコンクールでいい成績を取ることだけ。

大川ハグの時は、千秋はすぐにヨーロッパへ行き、コンクールに出場することが決まっており、千秋の実力からすれば上位入賞も夢ではなく、入賞すればあちこちから演奏の依頼が来るだろうし、つまりはすぐにでもプロとしてスタートするだろうと思われた。だから「その千秋についていかれるだけの力を身につけること」はあの時の目標としては間違いではない。

その後、新しい進路に歩みを進め、本来なら自分の将来をどんどん具体的にイメージしていかなければいけないのに、のだめは、プロのピアニストになるという決意も覚悟もない。オクレール先生からたびたび「君はなにをしにここへきたの?」と問われるが、解答を避けてきた。映画前編の終わりで、オクレール先生が「彼(千秋)とは距離を置いた方がいい」と言うのは、別れろという意味ではなく、自分の進む道を、とりあえず彼の存在は無視して決めろ、ということが言いたかったのだろう。

映画後編の最後で、「いい演奏ができても、さらにそれ以上のものを目指すんデスよ」などとプロっぽいことを言っているけど、生涯この道で食べていく決意を固めたと思われる場面は思い当たらない。それがなければ、また何か起きるたびに同じことを繰り返すのではないだろうか。

同じことは千秋にも言える。千秋はのだめのピアノを愛しているけれど、ピアノを弾かない、一人の女性としてのだめのことは愛しているのだろうか? これは、「あんな苦しい思いをしなくても、あいつが本当にやりたいことをやって、俺はそれを受け入れて、それでいいじゃないか……」とつぶやくのが、「ピアノを弾かないのだめでも好きだ」という意味だと考えられるので、一応、千秋の側はピアノとは切り離してのだめを愛する覚悟はできたものと考えられるのだが、「何度でもこの世界へ連れてきたいと思うんだ」といって強引に2台のピアノの共演に誘うのは、「やっぱりピアノを弾かないのだめはヤダ」と言っているようで、どうもはっきりしない。

シュトレーゼマンが「だからその辺をちゃんと分けないさいと言ってます」というのは、千秋真一という男性が野田恵という女性を好きだという気持ちと、音楽家・千秋がピアニストの卵である野田恵の才能を買っているというのとちゃんと切り分けなさいと……すなわち、「自分がのだめを好きだということを素直に認め、その気持ちに正面から向き合いなさい」という意味だろう。

このドラマの大団円というのは、千秋、のだめともにそこをきちんと認識し、決意を固めるところで終わらないといけないのだが、ラストの長い長ーいラブシーンにごまかされて、どうもそのあたりがはっきりしなかった。二人とも、その決意が固まっていないわけがないので、どこかにキーワードがあるはずなのだが。気付いた方は教えてください。

まあ、それを探るためにももう一回は見ないといけないかな。