「龍馬伝」はずっと見ていたけれど、記録するのが2ヵ月近く空いてしまった。とりあえず直近のものから。
雑感
神戸村に海軍操練所が完成し、希望に燃えて修練に励む訓練生たちだが、望月亀弥太は海軍を抜けて長州藩士と行動を共にし、池田屋事件が起きる……。
池田屋事件は幕末のドラマでは欠かせない、ひとつの見せ場になるところだと思うが、拍子抜けだった。新撰組が池田屋を襲う音、亀弥太を探しまわる龍馬、殺された亀弥太、帰り血を浴びたまま無言で引き揚げる近藤勇以下新撰組の面々……。ヒマラヤスギさんは、斬り合いの場面がなかったことで却って新撰組の恐ろしさが伝わってきたとおっしゃる。
そうかも知れないが、池田屋をやる以上は「階段落ち」(階段を駆け上がってきた新撰組隊士に斬られた志士が階段を転がり落ちる場面)は外せないし、個人的には、あとから駆け付けた会津藩兵の軍に向かって「今ごろ来て手柄を横取りする気か! これは新撰組が買い占めた喧嘩だぁ!!」と啖呵を切る土方歳三も入れてほしかったんだなあ。それがなかったのでちょっとがっかりした。
亀弥太が神戸海軍を抜けて長州の急進派に近づいた理由がわからない。土佐勤王党は尊王攘夷を掲げていたから、当然幕府とは反目するわけで、幕府の金で作られた神戸海軍にいることに引け目を感じていたのか。でも、ドラマではそういうことは言ってはいなかった。武市をはじめ、勤王党の多くの仲間が捕まって投獄されているのに、自分一人がのうのうとしているわけにはいかない、ということなのか。
しかし、海軍の軍人として、黒船を操舵し、砲撃訓練までやっているわけで、攘夷攘夷と観念的に叫ぶだけで、やることといえば佐幕派の要人を殺し、それによって自分たちの権力が増して、京都でいい思いができたくらいの勤王党の活動に比べてはるかに巨大な「力」を手に入れられそうだという実感はなかったのだろうか。
異国が攻めてきたらどうするか、その時は神国日本、必ずや神風が吹いて……なんて信じるより、大砲をぶっ放して敵艦を砲撃する方が、はるかに勝ち目がありそうではないか。仮に敵の黒船が何十艦もあって最終的には勝ち目がなかったとしても、敵兵を何十人か道連れにすることはできるだろう。だから、軍艦の操縦を覚えたら、これでハリスの黒船を沈めちゃる、とは思わなかったのだろうか。
軍艦は、この時点で恐らく日本史上、最大・最強の武器である。それを動かせる、たったの200人の中に自分は含まれているというのに、その立場を捨てて刀を振り回す道を選んだ理由がなんなのかが知りたい。
目的はどうあれ、(主義・主張や文化・風習の異なる)他藩の者と力を合わせて……とか、物理や工学の勉強をして……とかいうこと自体が、亀弥太の理解を超えていたのかも。天子様を奪い返すためにあそこを襲うぞ! おっしゃあ! という単純な(幼稚な)ストーリーでないとわからなかったのかも知れないなあ。
リンク
- 『龍馬伝』23回:新撰組!弥太郎!(ヒマラヤスギ雑記、2010/06/07)