窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

「龍馬伝」第三部はじまる/龍馬伝-29「新天地、長崎」

雑感

今日から第三部だそうな。初回から一度も抜かすことなく見続けてきたが、今回のを見て、もういいかな、という気になってきた。というのは、このドラマにおける龍馬が何者なのかが、既に物語は中盤を過ぎているのにいまだに見えてこないからだ。

武市半平太大森南朋)、岡田以蔵佐藤健)は良かった。すごく存在感があった。存在感という意味では、岩崎弥太郎香川照之)は存在感ありまくりだし、山内容堂近藤正臣)もいぶし銀が光っていたし、一回限りの使い捨てキャラだったが河田小龍リリー・フランキー)、吉田松陰生瀬勝久)なども強烈に印象に残る人物だった。

それに引き換え龍馬の印象が薄い。脚本が悪いのか演出の問題か、それとも役者の力量か。僕は福山はそんなに下手な役者ではないと思っているのだが、ことこのドラマに関する限り、あまりいいところがない。既に彼は剣の千葉道場では目録を取って塾頭を務め、神戸海軍塾でも塾頭であり、勝海舟の一番弟子で、武市の失脚後土佐出身の志士を束ねる立場である……はずなのだが、なるほど確かに龍馬は頼りになる、と思わせる場面が一度もなかった。

いい年をしてマザコンぶりを遺憾なく発揮し、武市や以蔵の危機を知ればあと先見ずに駆けつけるのは友情の現われのようにも思えるが、海軍塾が潰れたあと行き場がなくて困っている土佐脱藩の仲間をほったらかしにしていなくなってしまうのだ。こんな無責任な話があるか。いなくなるなら、その前に西郷隆盛と話をつけて、薩摩に匿ってもらう算段をつけてからにしろよ。

冒頭で弥太郎が、「龍馬は変わった……」というので、第三部こそは成長した龍馬が見られるかと思ったが、相変わらず意味もなく能天気な高笑いを繰り返すし、命がけで異国と闘った長州藩の高杉らが、「ただ攘夷攘夷と叫ぶだけではダメだと悟った」と言うと、「ようそれに気がついたのう」などと思いっきり上から目線だし。そんなに何かよくわかっているのかというと、西郷に意見しようとして「それは出過ぎた真似というものでしょう」などとあっさり撥ねつけられるし。

長州藩との密談にしても、長州の人間が長崎にいることが薩摩藩にバレたら大変な目に遭うことがわかっていながら、廊下を通る人にまで筒抜けになるほどの大声でしゃべって見つかるとは、まるでギャグだ。

高杉晋作が実物にそっくりだし、新撰組近藤勇もまだ登場して絡むだろうから、それは見てみたい気はする。しかし、武市も以蔵もいなくなってしまった今、すっかり見どころがなくなってしまったなあ。まあ、もう少しだから、たぶん最後まで見るけどね。