坂本龍馬は何者だったのか――「龍馬伝」に期待したこと/龍馬伝-34「侍、長次郎」

雑感

今日はヒドかった。薩長同盟という幕末を彩る大偉業の影に長次郎の死ありで、坂本龍馬物語を綴る時のひとつの山場になるところなのに、あの作り方はないだろう。龍馬も、他の亀山社中の人も、言ってはならないことを言い、してはならないことをしてしまったと思う。

例年、大河ドラマはあまり見ないのだが、今年は見たいと思い、第一回からこれまで休まず見てきた。なぜ見たいと思ったかというと、「坂本龍馬」ではなく、岩崎弥太郎の目から見た「龍馬『伝』」だと聞いたからだ。異色の取り合わせだが、これはツボかも知れない、と思ったのだ。第二部までは龍馬の成長譚だからまあ文句を言うまい。武市、以蔵という魅力的なキャラもいたので、それはそれで楽しめた。第三部、亀山社中を設立してからが龍馬の本領発揮であり、歴史の表舞台に跳び出てくるところである。それなのに、全く変わっていない。

坂本龍馬とは何者だったのか。彼が具体的に成したことはわかるが、ではなぜ彼はそうしたことを成し遂げられたのか、彼以外の人物にはできなかったのかと考えると、他の志士たちにはない坂本だけの特徴として、経済に明るかった、ということがあるのではないかと僕は考えている。

今でこそ、高校の社会科に「政治・経済」という科目があるくらいで、政治と経済は切っても切れないものであるという理解が一般的であると思われる。最近日本の総理大臣は短期間での交代が続いているが、新しい総理には経済政策をどうするかが重要課題であることからもそれはわかる。もちろん、経済以外にも、外交や福祉など重要課題はあるが、外交も基本的には国対国の力関係で決まり、力関係の力とは何かといえば、軍事力もあるが、基本は経済力であろう。

しかし、江戸時代においては、「経済」などという言葉はなかったであろうし、当時の為政者に「経済政策」という概念はなかったであろう。なにしろ税金を米で納めさせる国である。農民をこき使って食糧を確保すれば生活できると思っていたわけだ。事実、江戸時代が始まった頃はそれでよかった。

貨幣経済が発展してくると、そんな単純な発想では世の中は回らなくなった。士農工商身分制度では商人が一番低いが、ビジネスが成功して経済を握った商人は豪商と呼ばれ、大いなる力を手に入れるようになる。台所事情が厳しくなると質素倹約令を出すくらいしか思いつかない武士がどんどん貧しくなるのは当然である。表向きの権力を握っていても実質的に世の中を動かす力はなくなりつつあった。

そうした時代の流れを敏感に感じ取り、重商主義政策を打ち出そうとしたのが田沼意次だといわれる。が、その考えは他の幕臣には全く理解されず、家康の作った政治制度を根源から揺さぶるものとしてよってたかって妨害され、失脚した。江戸の三大改革(享保の改革寛政の改革天保の改革)は基本的に時代に逆行するもので、世の中を豊かにすれば国家の力が強くなり、権力者も潤う、という発想がない。黒船が来ようが来まいが、江戸末期、既に幕府も各藩も、体制はガタガタだったのだ。

幕臣はもちろん、桂小五郎高杉晋作、あるいは西郷隆盛大久保利通らは、低い身分の出とはいってももともと武士である。お金のことなど全く教育されていないし、理解がない。

さて、坂本龍馬である。彼はこの時代の武士としては極めて珍しく、経済観念が発達していた。これは、武士とはいっても郷士株を買ったからでもともとは商人であった(家は才谷屋という商家であった)ことと無関係ではないだろう。薩摩の庇護を受けるようになった時、普通の武士なら、恩を受けたのだから、薩摩に何かあったら命を賭けて恩に報いよう、と考えるのではないか。それを、亀山社中を設立し、自分たちの食い扶持は自分たちで稼ごう、と言い出したり、薩摩の誠意を長州に示すために、長州が買えない軍艦を薩摩名義で買おうと提案したり、これはテレビではまだやっていないが、薩摩に借りを作りたくないという長州に対して、では薩摩が兵糧米に困っているから長州の米を売ってやれ、と持ちかけたりするのは、すべて商人の発想だろうと思う。

組織の強化・発展のためにはお金の流れを押さえることが最重要なのは、今なら誰でもわかるだろう。いくら社長が偉そうなことを言っても、赤字経営ならあっという間に会社は潰れる。しかし、他の武士にはそういう発想ができない。だから龍馬の言うことは、突飛に映ったかも知れないし、珍重もされたのだろう。(同時に、嫌われもしただろうと思う。武士の癖に商人みたいなことを言いやがって、と。)

さて、弥太郎が見た龍馬がなぜ面白そうだと思ったのかというと、亀山社中はのちに土佐藩をスポンサーとして海援隊と名を変え、本格的に商社としての活動を開始する。この時、弥太郎が経理を担当した。弥太郎も郷士の中でもさらに低い身分の出で、侍らしい素養も教養も全く身に就いていなかったが、抜群の商才があった。そして龍馬が死んだあと、海援隊はいったん解散させられるが、これを母体に貿易業務を行なう土佐商会が設立され、弥太郎はこれを三菱商会として発展させていくわけである。

だから、ビジネスマンとしての龍馬がどうであったのか、龍馬の商才はどういうところで発揮されたのか、という観点で龍馬を描いたら、従来の龍馬像とは一味もふた味も違ったものになるに違いないと期待したのだ。

けれども、今のところそれは期待はずれに終わっている。「侍、長次郎」で龍馬は、長次郎に任せた仕事に関して、彼の言い分にはほとんど耳を傾けず、顧客(長州)の要求をそのまま飲んでしまい、しかも「あとはわしがやる」といって納品に立ち会わせず長崎へ追い返してしまうなど、マネージャーとして絶対にやってはいけないことをする。組織の長としては無能としか言いようがない。

また、社中の仲間は、財政の遣り繰りに苦労する長次郎に対し、「カネ、カネ言うな」「武士は食わねど高楊枝じゃ」などと理解を示さず、しかも「おまえは元は商人で、ホンマもんの武士じゃないからな」などと侮蔑的な発言をする者までいる始末。実際、身分制度を基本とする江戸時代にあっては、こうした感覚が一般的だったかも知れないが、亀山社中の人間だけはそれを言ってはいけない。あんたらのボスも商家の出でしょうが。武士でもあり商人でもある(あるときは軍艦の買い付けを行なう商社であり、あるときは軍艦をあやつる戦闘集団でもある)ことが、亀山社中レーゾンデートルでしょうが。

個々の脚本や演出に関しては、好みもあろうし、賛否両論あるであろうが、そもそもの「龍馬伝」の「伝」の部分が、単に語りを弥太郎がやっている、ということ以上でないのが残念である。