雑感
ドラマ「龍馬伝」は少々期待外れで批判的なことも書いてきたが、高橋克実の西郷隆盛はとても良かったと思っている。西郷隆盛のイメージは、でっぷり肥っていて、大らかで実直、ちょっと抜けたところもあるが、機を見るに敏、意思は強く、粘り強い。情に厚く、自分を慕う人間を切り捨てられない性格が、西南の役の悲劇につながった……というのが一般的ではないか。ひとことでいえば「いいひと」である。
同じ薩摩で盟友だった大久保利通が策士のイメージが強く、その対比でそう見えるというのもあるし、太った外観から豪放磊落なイメージにつながっているのもあるだろう。ところが、高橋克実の西郷は、別に太っていないし、大らかでも実直でもない。「何を考えているかわからない怖い人」といった感じであろうか。従来のイメージを覆す西郷像である。そして、これは意外に真実の西郷に近いのかも知れないぞ、と思うようになった。
薩長同盟は坂本龍馬の手柄のように言われることがある。それは、両藩が手を結ぶまで間に入って働いたのは事実だろうが、龍馬が西郷や桂を口説いてその気にさせたわけではあるまい。既に幕府と対立していた長州はもちろん、薩摩にしても、幕府に隷従するのでなければ、他の外様雄藩と同盟を結ぶ以外に生き残る道はなかったわけだから、もともと両藩が望んだものだろう。その意を受け、交渉窓口として動いたと考えるのが自然だ。
神戸海軍塾が潰れたあと、薩摩の世話になっていた脱藩浪士である龍馬たちは、いわば薩摩の「食客」である。この立場は微妙だ。ある程度自由に動ける代わりに、何の後ろ盾もない。やりがいのある仕事だったかも知れないが、薩摩にとっても都合が良かった。薩長同盟を結ぶに当たって、一番問題になるのは、事前に幕府に漏れることだろう。が、龍馬らが動いている限り、仮にバレても、「脱藩浪士が勝手にやっていること、薩摩は知らん」ととぼけられる。場合によっては龍馬らを抹殺することだってやったのではないか。
同じことは幕長戦争の際にもあった。軍事同盟を結んだはずなのに、薩摩は長州に自軍は出兵せず、代わりに龍馬らを差し向けて事足れりとした。長州攻めに参加せよという幕命を無視した時点で反幕の意志ありとみなされてもやむを得ないところだが、もし幕府側が勝って長州が滅んだあと、薩摩の罪を問われたら、準備に時間がかかってとか軍資金がなくてとか言い訳をしたのかも知れない。いや、幕軍が優勢と見た段階で幕軍に加わって一緒に長州征伐をしたかも知れない。
そのくらいのことを考えていなければ、一国を動かす人間として、むしろ力不足だろう。ユンロン風に言えば「白けりゃいいってもんじゃねーダロ!」ということになる。
福山龍馬が高橋隆盛に出会った頃、「坂本さんは日本が日本がとおっしゃるが、おいにとって一番大事なのは、日本ではなく薩摩でごわす」と冷たく言い放つシーンがあった。以前だったら、そんな風に考える西郷は厭だ! と思っていたけど、今はそう考える方が自然だと思える。今の世の中で普通の日本人が「世界平和は大事だけど、日本という国がなくなってはなんにもならない」と考えるのに似ているのではないか。