大政奉還の建白/龍馬伝-46「土佐の大勝負」

雑感

龍馬が土佐へ行き、山内容堂と面会して大政奉還の建白書を書いてもらうよう進言するという話。前田敦子久々の登場。

大政奉還は幕末の一大イベント。それをここまで史実から離れた話にするかなぁ……と、驚くやら、しらけるやら。

大政奉還は、後藤象二郎山内容堂に進言し、容堂が徳川慶喜に建白して成立させたもの。後藤がこうした考えを持つに到ったのは龍馬の影響というのが定説だが、龍馬が直接容堂公に進言したわけではない。いくら幕末の動乱期だとはいえ、まだ徳川幕藩体制が続いている中、下士・脱藩浪士の龍馬が、藩政を司る容堂に直接会って話をすること自体、あまりにも現実離れしている。龍馬が象二郎と親しげに話をしたり並んで歩いたりしていたのも、長崎だからこそであって、土佐に戻ったらそんなことはできないだろう。ましてや……容堂公は依然として雲の上の人である。

大政奉還の意味合いについてもかなりおかしな説明がなされている。これはずっとこのドラマを見ていて気になっていたことなのだが。

今の徳川の政治には将来がない、天皇陛下が徳川に預けてある政権を取り上げ、天皇の御代に戻し、民主的で先進的、西欧列強とも対等に渡り合える「日本」という国家を作っていかなければいけない……という思いから多くの志士は立ち上がった。が、その思惑は様々である。

次代の権力者になるであろう薩摩・長州は、武力で徳川を制圧し、力づくで政権を奪い取ろうとしている。一方、龍馬らは、戦が起きれば日本中がそれに巻き込まれることを危惧した。日本が二つに分かれて騒動を繰り広げれば外国に付け込まれるだけだというわけだ。だから、戦をせずに徳川から自主的に政権を返上させる。これが大政奉還だ。ここまではいい。

大政奉還したあとの世の中はどうなる? 最高権力者は天皇陛下だとしても、これまで現実に政治を行なったことはなく、実務能力はない。そこで全国の有力大名の公議で動くことになるだろう。では、その有力大名とは具体的に誰だろうか?

徳川を武力を以て叩き潰してしまえば、それは薩長になる。西郷隆盛桂小五郎が狙っているのはこの線である。一方、大政奉還した場合、徳川は将軍家ではなくなるが、家も領土もそのまま残る。さてそうなると勢力図は? 薩摩は77万石、長州は37万石、徳川家はざっと700万石である。そうなれば新しい世でもイニシアチブを取るのが誰になるかは明らかであろう。

薩摩も長州も関ヶ原の戦いで西軍だった外様大名である。江戸時代を通じて様々な差別も受けた。彼らにしてみれば徳川を倒して自分たちの支配する世にすることは当然である。長年にわたる怨みつらみを爆発させる機会がようやくめぐってきたのだ。これは龍馬や武市半平太など土佐の下士にとっても同じ。一方、山内家は関ヶ原では東軍につき、戦後、徳川の御恩をもって土佐を賜ったのである。徳川家があってこその山内家である。討幕に加担するような真似ができるわけがない。

だから、大政奉還なのである。ことここに至っては、これまで通りの幕藩体制を今後も維持して行くのは至難の業。いずれ薩長をはじめとする討幕勢力とぶつかる。そうなった時に幕府側に勝ち目があるか。時代の流れは薩長に傾きかけている。それなら形式的に政権を返上してしまった方がいい。そうすれば薩長側は討幕の必要がなくなり、振り上げた拳を下ろさざるを得なくなる。そうしておいて、次の政権下でも大きな影響力を持ち続けることが、結局は徳川家安堵につながる……というのが土佐藩の建白書の主旨だったはずだ。

もちろんこんなことをされてしまっては、薩長にとってはたいへんに都合が悪いことになる(この時点では、薩長側にとって坂本龍馬は非常に困った存在だった)。いくら徳川家にもメリットがあるとはいえ、そうそう簡単に決意できることではない。それまでの間になんとか討幕の密勅をもらおうと必死で朝廷側に働きかけていた。討幕の密勅が薩長に下るのが先か、徳川慶喜大政奉還するのが先か。必死のレースをやっていたのである。

話を少し先取りするが、討幕の密勅が下りたのは1967年(慶応3年)10月14日。だが同日徳川慶喜大政奉還を上奏し、朝廷側がこれを受理。これによって討幕の密勅は紙切れになってしまった。もっとも、結局は薩長側が徳川を挑発して鳥羽・伏見の戦いを起こし、朝敵の汚名を着せ、徳川を武力で追いつめていくわけだが、それは龍馬の死後の話だ。

さて、次回はどのような話になることやら。

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