窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

あれ? こんな話だったの?「エンダーのゲーム」

予告編と相当に違う。字幕翻訳者の違いという範疇ではないと思う。誰もおかしいと思わないのだろうか?

題名エンダーのゲーム(Ender's Game)
原作オースン・スコット・カード
監督ギャヴィン・フッド
出演エイサ・バターフィールド(エンダー)、アビゲイル・ブレスリン(ヴァレンタイン・ウィッギン、エンダーの姉)、ハリソン・フォード(ハイラム・グラッフ、大佐)、ヴィオラ・デイヴィス(グウェン・アンダースン、少佐)、ヘイリー・スタインフェルド(ペトラ・アーカニアン、エンダーに好意を抱く女性隊士)、ベン・キングズレー(メイザー・ラッカム、伝説の英雄)、、他
公式サイトエンダーのゲーム | 映画
制作USA(2014年1月18日日本公開)
時間114分
劇場TOHOシネマズ ららぽーと横浜

内容紹介

地球はかつてホーミックという異星人の侵略を受けた。この時はメイザー・ラッカムという英雄の出現により戦争に勝ち、最終的に彼らを追い返すことに成功したが、大量の地球人が虐殺された。ホーミックは自星に逃げ帰っただけで、いつまた再び地球を攻撃してくるかわからない。その時に備え、戦隊の指揮ができる若い力を育てようとしていた。

雑感

予告編と全然内容が違うじゃん、というのが第一声。公式サイトを見ても、エンダーは宇宙戦争を終わらせるために生まれてきたとか、「僕は戦いたくない」とか、サードだとかいろいろ書いてあるが、映画を見ている限りでは、第二のメイザー・ラッカムを育てるべく、若者の中から素質ある者を集め、過酷な訓練を課していた、その中でもエンダーは若いが才能があるとしてハイラム・グラッフ大佐が大いに期待していた、という、それだけのことでしかなかった。

一度だけ「僕はサードだから」という言葉は出てくるが、どうやら三人兄弟の末っ子はそのこと自体が劣等感になっているらしいことしかわからない。もともとは兄が期待をかけられていたが不適な部分があってエリートコースを外されたため、エンダーに敵意を持っていることはわかったけれども、どのあたりが優秀だったのかはさっぱりわからず、姉の存在に到っては、エンダーはシスコンなんですねー(まだ子供だから仕方ない)ということくらいしかわからない。そもそもエンダーのどのあたりがどう優秀だったのかもよくわからない。周囲の子どもよりは抜きんでていそうだが、全人類を代表させるほどの能力の持ち主かというと、「???」……

戦隊を率いるのは、つまるところコンピュータのシミュレーションソフトで好成績をあげるのと共通したものがあり、ゲーム世代の子どもの方がいい結果を生むのかな、ということがわかった程度。ま、これはタイトルにも通じるので、これはこれでいいけれども。

しかし、侵略してきたものを撃退したらとりあえず戦争は終わり。もちろん、再度の襲撃に備えて守りを固めることは必要なんだろうけど、その後50年も何も仕掛けてこない相手に対して、「壊滅させない限り、いつかまた攻めてくる」と怯えて、相手を非戦闘員も含めて壊滅に追いやる……というか、相手の住む惑星を丸ごと破壊してしまうというのは、いくらなんでもやり過ぎだ。そうしなければ、もっと大きな犠牲が出ていたというのは詭弁もいいところだろう。これがアメリカの考える「正義」なのかと思うと胸糞が悪くなった。

もちろん主人公のエンダーは、事情を知っていたらそこまではやらなかったと怒り、後悔するのだが、免罪符的に言わせているだけで、そんなことはしちゃいけないんだよというのがメッセージであるようには思えなかった。

配役

アビゲイル・ブレスリンが出演していたが、あとで名前を確認するまで全く気付かなかった。名前を確認したあとでも、あれがアビゲイルだとは思えない。写真を見ても……「私の中のあなた」と同一人物とは思えないよなあ。

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