「123分のうち105分が裸」とかなんとかいう宣伝文句だけは事前に聞いていた。しかし、「八重の桜」で時栄の娘・久栄を好演した門脇麦が主役で、滝藤賢一、新井浩文などが脇を固めるとなると、ポルノではなかろう。一体どういう話なのか? と不安と好奇心が半々であった。
気になる人もいるだろうから、あらかじめ書いておく。女優さん、脱ぎます。次に、これ基本的にコメディです。あ、コメディだと思わないで観た方がいいのかな? コメディだと思って見ると笑いの閾値が上がるから。そして、真面目な人間ドラマでもある。驚いたといっては制作者に失礼だが、かなりしっかりした話で、正直言って驚いた。
題名 | 愛の渦 |
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原作 | 三浦大輔(岸田國士戯曲賞受賞作) |
監督 | 三浦大輔 |
出演 | 門脇麦(女子大生)、中村映里子(保育士)、三津谷葉子(OL)、赤澤セリ(常連)、池松壮亮(ニート)、滝藤賢一(サラリーマン)、新井浩文(フリーター)、駒木根隆介(童貞)、柄本時生(カップル)、信江勇(カップル)、田中哲司(店長)、窪塚洋介(店員)、他 |
公式サイト | 映画「愛の渦」公式サイト |
制作 | 日本(2014年3月1日公開) |
時間 | 123分 |
劇場 | TOHOシネマズ ららぽーと横浜 |
内容紹介
そこはセックスをしたくてしたくてたまらない人が集まる場所。朝までいて、男は2万円、女は1000円、カップルは5000円。要は乱交のための場ということだ。ある日ある夜、8人の男女が訪れる。最初はぎこちなく会話を始めるが、やがてカップルができて事に及ぶ。一戦終了してもまだ硬さは取れないが、少しずつ会話も弾むようになり、下ネタも出て打ち解けてくる……
雑感
なんというか、最初は「嘘くさい」と思った。このような場所に僕は出入りしたこともなければ、出入りした経験のある人の話を訊いたこともないのだが、お見合いパブみたいなのはそれこそあちこちにあって、夕刊紙などによく紹介記事が載る。その類推で考えると、第一に男女が同じ人数になることがあり得ない。希望者をそのまま受け付けていたら圧倒的に男が多くなるはず。それだと商売として成り立たなくなるから、さくらの女性を混ぜるのだ。つまり、風俗嬢を複数雇って常時待機してもらうわけだ。
店の側がそういう努力をしても、たいていは男の方の人数が多くなる。そうなると、男の間に競争原理が働く。人数差があると、ぐずぐずしていたら、高い金を払って最後まで誰にも相手をしてもらえないまま帰る羽目になりかねない。それが嫌ならどんどん声をかけて話を進めようとするはずだ。本作のように、みんなが緊張して何を話していいかわからないまま時間が経っていく……のは、男女同数で、とりあえず好き嫌いを言わなければあぶれることはない、という安心感があるからだろう。店の側がそのように乳客数をコントロールしているなら、別だが。
それから、女性陣がみな若くてきれい過ぎる。あんな子ばかりが集まる場所なら、僕だって行きたいけど(爆)、そんなはずないでしょ。まあ、これは映画としてのクオリティを保つためだろうから、ここに突っ込んではいけないな。もっとも、門脇麦がブスい表情をしていて、一応ブスっぽく見えたからすげえなと思った。この子は、こういう場所にくる以外に相手を見つけるのは難しいかも知れない。そういう子をきちんと演じていた。
さて、一見してこのくらい嘘くさい設定で話が進むのだが、その進行が、各人のやり取りが、これまた意外なほどリアリティがあるのだ。最初はおっかなびっくり、そしてコトをいたせて嬉しいな感があり、次にパートナーを交代していたすカップルと、同じ相手と再び……というカップルに分かれ、同じ相手と二回する頃には情が湧いてしまって嫉妬が渦巻いたり、この人とはやりたくないとはっきり口に出す人がでてきたりして険悪なムードが漂い……。文章にすると「ただそれだけのこと」にも思えるが、一人一人の感情の起伏が、役者陣の好演もあって、実に見事なリアリティを持って伝わってくるのである。
閉じられた部屋の中で、人の出入りもほとんどなく、セックスするシーン以外は会話で劇を成り立たせるしかなく、要はこのある種の極限状況の中での感情の行ったり来たりを見せる作品だということになる。本作はもともと芝居として上演されたものだそうだが、これはまさに芝居だ。(「おとなのけんか」を思い出した。)
さて、ちょっとネタバレになるが、最後に店員が女子大生に電話する時、自分の携帯を使わないでニートの携帯を使ったのはなぜだろう。また、なぜ履歴を消さずにその携帯をニートに返したのだろう。最初は、ニートが女子大生を好きになったことに気づいた店員が、何気なさを装って電話番号を教えてあげる作戦なのかと思った。が、女子大生が帰ったあと、「さっきの履歴消せよ」「やだ」「ふざけるな! 消せ!」というやりとりがあったのは解せない。まあ、そのあとの(最後の)一芝居に続けるための、強引な布石だったということか。