窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

「麒麟がくる」第三十二回「反撃の二百挺」(2)

摂津晴門が、もはや織田信長は必要ない、朝倉や上杉謙信武田信玄らにも上洛を呼びかけ、彼らに幕府を支えてもらおう、というセリフがある。

これは、ある意味その通り、というか、それが実現できれば理想的である。各自の勝手に任せておけば各地で小競り合いが絶えず、平らかな世など訪れない。この当時、一人で日ノ本を統べるだけの力のある大名はいないが、有力大名を集めて将軍の臣下として認め、現在の領土を安堵する代わりに互いに不可侵条約を結ばせれば戦はなくなる。幕府の言うことを聞かない小大名がいたとしても、連合政権が圧力をかければ逆らうことはできない、というわけだ。

ではなぜ、たびたび将軍が諸侯に上洛を呼び掛けても誰も応じないのか。それが問題である。上洛に応じたのは信長だけだったが、信長にしても比較的近い美濃にいたからできたことである。が、金ヶ崎の退却のあと、浅井が寝返ったことで京と美濃が分断され、美濃に帰ることができなくなった。

数万の兵を率いて京まで行くとなると、往復の道中および京での滞在中の莫大な兵糧を手配しなければならない。その上、自国を空ければその間に周囲の敵に攻め込まれ、乗っ取られないとも限らない。よほど完全に領土支配を確立していないと、主力を率いて家を空けるなどできないのだ。そこまでして上洛したとて、大金がもらえるどころか、将軍家を支えるためにむしろ金を出さないといけない。

自国を掌握し、周辺の国と戦い、勝って領土を広げることを繰り返すのは意味があるが、特に京から遠隔地の大名の場合、一足飛びに京まで出かけることに恐らくメリットはないのだ。だから朝倉も武田も上杉も、口ではなんと言おうがこれまで重い腰をあげなかったのだ。

摂津晴門らはいとも簡単に「上洛を呼び掛ける」というが、具体的な報奨を用意している様子もない。それとも、京まできてくれたら、自分らがやっているような、私腹を肥やすやり方を教えてやろうとでも思っているのか。



映画ランキング