窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

「麒麟がくる」第三十二回「反撃の二百挺」

出演

あらすじ

光秀は戦の報告に義昭を訪れる。心配で三日も眠れなかったという義昭と摂津に、光秀は首をかしげる。三日も前に知っていたとは、恐ろしい早耳だ、誰から訊いた、その者は浅井と通じているのではないか、と摂津を睨む(「信長協奏曲」では、浅井裏切りの知らせは信長が京に到着した前日に義昭に届いたことになっている)。

いたたまれずに摂津が座をはずした後、義昭が出兵していれば浅井が裏切ることもなかっただろうし兵も勢いを増す、次の戦にはぜひ一緒にきてほしいと嘆願する。

屋敷に戻ると、美濃から煕子、岸、たまらが到着していた。牧は美濃に残った。光秀は、改めて、家族を守るためにも平らかな世を作るぞと決意する。

次の戦に備えて鉄砲を仕入れるべく、光秀は藤吉郎とともに今井宗久の許に向かい、鉄砲300挺の調達を依頼する。が、ちょうど今朝さる大名から250挺を依頼されたばかりで、300挺の調達はできないと断わられてしまう。その大名の名を聞いても教えてくれないが、本日夕刻に茶会を開くのでよかったら参加しないかと誘われ、参加者の名を知らされる。その中に筒井順慶の名があった。

今井宗久が、鉄砲の依頼をしたのが筒井順慶であることをさりげなく教え、かつ、買い取り交渉ができるよう、顔合わせの段取りをつけてくれたのだと光秀は気づき、順慶に、義昭と信長を紹介することを条件に200挺を回してもらうよう交渉し受諾を得る。

大量の鉄砲を入手した織田軍は姉川の合戦で徳川とともに浅井・朝倉と対峙し圧倒する。が、息の根をとめることはできず、朝倉は比叡山に逃げ込み、数万の僧兵を擁するといわれる延暦寺を味方につけた……

雑感

  • 光秀は摂津を口頭では厳しく責めるが、追い込みが足りない。スマホに戦国ニュースが流れてくるわけではなし、大急ぎで逃げ帰ってきた者たちより三日も前に敗戦の報を知っていたのは明らかにおかしいのだから、そこはもっと追求すべきだったのではないか。光秀の屋敷のある土地も、摂津が手に入れて将軍に献上したことになっているが、盗まれたと訴えが起きている。この件もどうなったのか。
  • 光秀は義昭に、将軍の旗が立っていたら兵の士気が違ったと訴える。ドラマを見ていると光秀はまるで信長の家臣のようだが、あくまで幕臣であり、将軍義昭の名代として信長に協力している形である。だから、光秀が将軍家の旗を立てればいいんじゃないかと思うのだが違うのか。義昭自身が戦場にいれば変わる士気があるかも知れないが、万一のことがあれば取り返しがつかない。戦の経験のない素人将軍が現場にいても、周囲が気を遣うばかりで、あまり役に立つこともないのでは、と思うのだが……
  • 伝吾は第十七回「長良川の対決」でクランクアップかと思いきや、牧が美濃に戻った時に姿を現わし、おやと思ったが、今回、煕子らとともに京へやってきた。この後は再び光秀に仕えるというわけか。美濃に残してきた田畑はどうなったのだろう。
  • 筒井順慶と初めて会った時に、藤吉郎がいきなり「京へは鉄砲の買い付けに来たと伺った」と喋ってしまう。今井宗久はそんなことを一言も話していない。個人情報保護の姿勢は貫きつつ、明智らに便宜をはかってくれた気持ちが台無しである。ここは、「京へは何用で?」と誘導尋問にかけ、本人の口から「鉄砲の買い付けに参った」と言わせるように仕向けるべきだった。結果的に交渉はwin-winに終わったら筒井順慶も恨みには思っていないだろうが、あとで「なぜペラペラとわしの名を教えた」と今井宗久が罪を問われることになったらどう責任を取るつもりだったか(責任など取れるはずもないが)。
  • 信長は延暦寺の僧兵と会った時に、自分らは御仏を背負って戦うと言われたため、実際に自分も仏像を背中に背負って暴れまわってみた。そういう意味ではないのだが、可愛いと言えば可愛い、しかしやっぱりヘンだ。
  • なぜだ、なぜ延暦寺は朝倉の味方をする、と憤慨する信長に、光秀は、つまるところこれ(金)ではありませぬか、と答える。これは今年の大河に特徴的な運び方だ。序盤で、通行人から(勝手に)金を巻き上げる僧兵の描写があったし、光秀が京に行きたいと言えば道三が「金はやらんぞ、貸すだけだ」と答えたり、御所の修繕に信秀が大金を出したエピソードを披露したり、とにかく何をするにも金が必要であり、その金をどれだけ調達できるかが重要であることを繰り返し描いてきた。ドラマでは生臭いことは避ける傾向が強いが、生活するにも金が必要だし、戦争をするには巨額の戦費がかかる。そこをはっきりと書いているのはよいことだ。

配役


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(2020/11/29 記)