龍馬伝-01「上士と下士」(続)

土佐には上士と下士という存在があって、厳しい身分差が存在していた。下士は上司にどんな無法を言われても従わなければならず、時には気まぐれで殺されることすらあったが、逆らうことはできなかった。逆らえば本人のみならず親類縁者が皆お咎めを受けるから。そのため、下士は耐え難きを耐えてきたけれども、ついに積年の恨みが一触即発の状態になる。

……ということを紹介するのが、龍馬伝の初回のテーマのひとつであった。他の下士は、もう我慢ができないから気に入らない上士を斬ろうと言い、龍馬は、憎しみからは何も生まれないという。龍馬は、身分差を撤廃し、上士・下士というものをなくすことを考えたのだ、と。

江戸時代は明確な身分差があり、それをゆるがせにしないのが大前提であった。が、このような上士・下士の区別および差別は他の地域には見られない、土佐特有のものである。維新回天を成し遂げた志士、たとえば薩摩の西郷、大久保、土佐の桂、高杉などは藩主の信も厚い堂々たる藩士なのに対し、土佐から出た坂本龍馬中岡慎太郎などが皆脱藩浪士なのも、これが大きな理由である。

上士の狼藉に泣かされる下士の話は、漫画「おーい、龍馬!」にはもっと生々しく、もっと痛々しく描かれる。

なぜこんなことになったかというと、そもそも関ヶ原の前に土佐を治めていたのは長宗我部氏だったが、西軍について負けたために土佐を追われ、新しく山内一豊が領主となった。この時一豊は、自分が連れてきた古くからの家臣を上士として、主な役職はすべて上士で固め、長宗我部氏の部下だった地侍を徹底的に弾圧し、彼らおよび彼らの子孫を下士として決して高い地位につけないという政策を取ったからである。以後260年、上士が下士を虐げる歴史が続いたわけ。

しかし僕は不思議だ。本当に、こんな無法がまかり通っていたのだろうか?

上士が通る時に頭を下げさせたりするのはあるだろう。気に入らない下士を殴ったりするくらいはあったかも知れない。しかし、江戸時代のような一応成熟した社会を成り立たせていた時代に、どんな理由があろうがその場で(つまり、裁判もなしに)人をひとり切り殺して何のお咎めも受けないというのは考えにくい。そんなことがまかり通れば世の中が治まらないのではないか。

江戸時代は士農工商の身分差別があり、武士の特権として「切り捨て御免」があった、と中学生の時に習った時はすごい時代だと驚いたが、テレビなどでよくやる時代劇のあの明るさとどうにも一致せず、悩んだものである。のちに、いろいろ調べてみると、これは「町人が武士を侮辱したら、殺されても文句はいえませんよ」と脅しをかけるものであって、本当にこれを実行したら武士の側も処罰される。それに、確かにその町人が武士たる身を侮辱したという証拠も必要であって、酔って気に入らない町人を勝手に殺すことが認められていたわけではないのだ。だから、町人だって安心して生活ができた。治まる御代とは、こうしたものであろう。

土佐は、他の藩と違い、同じ武士階級の中に上士・下士という厳しい階級差があったのは事実であり、下士に不満がたまっていたのも事実であろうが、上士による虐待が日常的にまかり通っていた、というのは、ドラマにおける創作ではないかと思うのだが、どうだろう。