窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

しつこく「アバター」の話

いろいろ考えているのだが、パンドラという星に、ナヴィという地球人の感覚では未開の原住民のような生物だとしても、人間と同等レベルの高等生物がいたからこそ、彼らとのコンタクトを通じて彼らの文化を知り、ジェイクを筆頭に、それを守るべきだと考える人間が出てきた。それを見ている自分たち観客も、ナヴィに感情移入して、それをぶち壊そうとする侵略者に腹を立てたわけである。

では、ナヴィがいなかったら?

理屈の上では同じことだ。犀のような、あるいは豹のような獰猛な獣にも、鷲のような鳥にも、物言わぬ植物にも、生活があり、言ってみれば「文化」がある。よその星からやってきた異星人が、勝手な理屈で彼らの生存を脅かし、貴重な資源を奪うことが許されるわけではない。しかし、高等生物がいなければ、同情する者は(観客も含めて)ほとんどいないだろう。

前回書いた感想では、これはかつてネイティブ・アメリカン、今はイラクやアフガンを「侵略」しているアメリカ人のことだろうと思ったのだが、たとえば僕らが蜂蜜を得るために蜂の巣をこわし、それを怒って攻撃してくる蜂を殺すなんていうのも、同じことをしているわけだ。

もっと言えば、牛や豚や鶏を、その肉を食べるために殺す。残虐といえば残虐だが、生物としては、自分が生きるためにはある意味当然のことであり、これは人間以外のすべての生物に通じることである。「生きるため」というが、人間が人間らしく生きるためには、食べ物だけあればいいというわけにはいかない。文化的な、社会的な生活を送るためには、それなりの「資源」が必要になる。その資源を手に入れるために他の生物を殺すのは正当化されるのか?

アバターの仕組みは?

ジェイク、グレース、ノームなどがドライブしていた「アバター」。これは地球人とナヴィのDNAを掛け合わせて作られた生物。体格も身体能力もナヴィそのものだが、顔はDNAを提供した地球人の面影を残す。ああ、そういえばナヴィの女性はみな胸もお尻も小さくて、ほとんど裸同然の格好をしている割にあまりセクシー感がなかった。家族で見ることを前提とした映画だからそうでないと困るが、グレース(のアバター)のみ胸が大きかったのは笑えた。あれは地球人のDNAなんだろう。ナヴィのDNAは、いつ、誰のものを採取したのかは謎。

問題は、こうして作られた生物には脳がないらしいのだ。脳がないのとは違うのかも知れないが、医学的には生きているけれど、思考・判断はもちろんのこと、歩いたりするような単純なこともできず、眠ったような状態でしかない。ドライバーの人間が「リンク」した状態でその人間の意識が移り、それで行動することができる。リンクを切れば昏睡状態になってしまう。リンクしている間の人間は、機械の中でじっとしているだけであり、人としての行動は一切できない。

当初のグレースやノームのように、調査・その他の目的のために一時的にアバターをドライブするならよいが、ナヴィとして生活するとなると、人間に戻っている時間がない。しかし、人間としても食事をしたり、打ち合わせをしたり、レポートを書いたりする時間が必要である。二重生活はかなりつらい。だからジェイクは、何日もシャワーも浴びずにひたすらリンクし続けるが、これは、人間としては車椅子の生活だが、アバターとしては元気に走り回り、空を飛ぶことさえできることに魅力を感じていたからに違いない。

ここで、ドラマを離れるが、これは医療の未来としてひとつの可能性を示しているのではないだろうか? 頭ははっきりしているが、事故その他で身体が動かせないという人に対して、動く肉体を作り、そこに意識を飛ばすというのは……。倫理的にいろいろ問題がありそうだが。

リンク

同意見。

まさにツボを押さえた感想です。

  • 逆効果。(ペットトポル回収中、2010/02/11)

話の内容がわかっても、見る価値はありますぜ。