窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

濫読も必要

以前、「蓄積される人、されない人」(2012/05/08)という記事を書いたことがあるが、結局、数を観ていない、というのが一番大きい原因なんだろうと思うようになった。読書に関しては物心ついた時から親しんでいて、今に到るまで本の虫だから、それ相応の読書体験がある。数にしたら何千冊か。だから、それなりの鑑賞力があるのも、ある意味では当然である。それに比べれば映画をそこそこ観るようになったのはここ数年の話であり、あまりにも鑑賞体験が少ない。

せっかくそれなりのお金と時間をかけて劇場へ行くので、一応こうして記録をつけているのだが、この記録もチャチといえばチャチである。たとえば、背景になる部分をいろいろ調べたり、原作にあたったり、映画評や他の人の感想などを読んで理解を深めたり、劇場で観るとなると限られてしまうが、同じ監督の作品や、気にいった役者の他の作品を見てみたり、といった作業をやって一作ごとにもっともっと深めていくようにした方がいいのかも知れない。ただ、それをやると作品を見る回数が減る。今でもこのレビュー記事を書くための時間を作るのはひと苦労なのに。

しかし、読書体験を元にしていうと、読書力を高めるためには、ある時期においては精読も必要だが、最初はなんといっても濫読が大切である。手当たり次第に数を読むのだ。それも、できるだけジャンルや作家を限定しない方がいい。世界名作全集とか、新潮文庫の100冊とか、ある程度網羅的に名作をカバーしているようなものを読破してみる、というような試みは一度はした方がいい。好きな作家の本を続けて読むとか、同じ本を座右の書として繰り返し読む、というようなことはそのあとで十分である……と考えている。

きっと映画も同じだろうな、と思って、今は濫読……濫鑑賞を続けよう。