窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

NHK大河第20回「開戦!鳥羽伏見」

出演

粗筋

一戦も交えず大阪に退却しよう(そして容保を道連れにしよう)とする慶喜会津家臣は猛烈に反発。しかし神保修理が「無暗に戦を仕掛けては長州の二の舞になる(朝敵になったら大変だ)」と言って皆をなだめる。なだめるのだが……これ、きっとあとで試験に出ますね。ううう。

慶喜は海外使節らと交渉を行ない、日本の代表はトクガワであることを印象付ける。既に外交が重要課題になっているこの時代、諸外国が日本をどう見るかは重要である。やはり徳川は倒さなければいけないが、名目が立たない。そこで徳川を挑発すべく、江戸で火つけ・盗賊などの騒ぎを起こす。勝海舟が挑発に乗らないよう注意して回るが、ついに庄内藩が薩摩屋敷を焼き討ちしてしまった。

結局、これ以上兵を押さえつけていると反発から自分が殺されるかもと判断した慶喜は戦を決意。12000人の(旧)幕府軍を動かして京都に攻め入る。しかし鳥羽・伏見は細い街道で待ち伏せされたらどうしようもない。装備が旧式な上、ろくな策もなく、案の定、覚悟のあるのは会津軍だけ。その会津も貧弱な装備には変わりがなく、新式銃を揃える薩摩の前に手も足も出ず。林権助は壮絶な最期を遂げる。

開戦の知らせを聞いた覚馬は戦を止めに会津藩邸に向かうが、たちまち薩摩兵に捕えられてしまう。

会津では女たちが兵の無事を祈って幟を縫う。集会(?)で照姫は竹子に、今の覚悟を歌に詠むように命ずる。言われて詠んだのは

もののふの猛き心にくらぶれば 数にも入らぬ我が身ながらも

続いて八重が詠んだのは

父兄の教えたまいし筒弓に会津心の弾やこめなん

八重は竹子を角場に連れて行き、銃を披露。

「子供の頃から鉄砲がやりだくて、おなごのする事でねぇと何度叱られても、なじょしてもやりだくて」
「その修練が会津の心となって弾にこもるのですね。幟に書いたあの歌、私も同じです。男なれば魂を込めた薙刀をとって都に馳せ参ずるものを、国許で案ずる事しかできるのが悔しくてなりませぬ」
「そんじも腕は磨いておがねば。いづかお役に立てる時がくっかもしんねがら」
「ええ、会津のために」

銃と薙刀の違いはあれど、心を同じくする同志とわかり、友情が芽生えた瞬間だった。

感想

林権助は、前回、目を患っている覚馬を気遣い、「年よりの一人暮らしは侘しい。私と一緒に住んで相手をしてくれないか」と持ちかけていた。いい人を示すエピソードの翌週に死ぬ、という昨年公になった大河の法則は、今年も健在。

史実では、鳥羽伏見では(怪我はするが)死にはしなかったはずだが……まあ本作でも、真っ白な灰になっただけで死んだとはっきり語られたわけではない。

会津では八重と竹子に友情が芽生え、また山川艶(秋吉久美子、大蔵の母)は西郷千恵に「じき頼母様の禁足も解けましょう。藩内には頼母様の復帰を心待ちにする声が多くあります」と声をかけるなど、心温まる描写が多かったが、その先の史実を知っていると、とてもほのぼのとはいかない。

三郎が鳥羽伏見の戦に参戦。あーあ出てきちゃったよ……いや出てきてくれないと困るんだけど。あと何回出てくるのか……

照姫の前で竹子が詠んだ歌は、中野竹子の辞世として知られるものだが、八重が詠んだ歌は? 検索しても出てこないが、こういう歌を実際に八重が詠んだのか? 番組オリジナルか? こうしたことは公式サイトに明記すべきだと思う。何度も書いたが何度でも書く。公式サイトは記載があまりに不親切だ。

京都から江戸に逃げ帰ってきた梶原二葉を道案内する女性は、なにやらいわくありげな雰囲気だが、これは水野貞らしい。水野貞なら梶原平馬の二度目の妻である。しかし公式サイトの登場人物欄には記載がない。何度も書いたが何度でも書く。公式サイトの記載は情報量が少な過ぎる。

配役

初登場のMEGUMI斎藤一(役の降谷建志)と夫婦だそうだ。

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