窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

NHK大河第29回「鶴ヶ城開城」

参院選速報のため、本咲は7時10分から。早々に早咲き。

今日の見所

尚之助さまと八重の別れ。

粗筋

登勢が死んだことが大蔵に伝えられる。重傷だったが痛いとも苦しいとも言わず、ただ「旦那さま……」とだけ呟いていたという。悲しみにくれる大蔵。そこへ健次郎が戻ってきた。敵の砲撃が激しく敗走したという。弟の報告に大蔵は激怒。女でさえも命を落としている。今ここで腹を切れ! と。さればと本当に腹を切りそうになった健次郎に艶が飛びつく。「これ以上死ぬことはねえ!」と……

夜になっても砲撃はやまない。尚之助は八重に「今日だけで2000発は超えています」と語りかける。

「私は、国とは、そこに住む人のことだと思っています。会津は……八重さん、あなたは強い」
「そんなら、尚之助様も立派に会津の人だ」
「んだなし」

尚之助さまが初めて会津言葉をしゃべった!(思わずtweetした!)

容保と照姫。

「わしが愚かなばかりに……何もかも燃やしてしまった。代々築き上げてきた会津の誇りまでも汚した。己が許せぬ」
「過日、凧揚げをする子供達を見ました。戦の最中だというのに、目を輝かせる子供らの逞しさを誇らしく思いました。また、会津の空に子供らの凧があがるのを見とうございます」

時尾は場内で傷ついた斎藤を見かけ、手拭いを差し出した。

斎藤「そなたは砲撃が恐ろしくはないのか?」
時尾「ありがとなし。会津のために戦ってくれて。私は春の会津が一番好きでごぜえやす。ゆっくり春が来て、きれいな桜が咲いて……。悔しいごぜいやす。もう一度、春の会津をごらんになっていただきたかった」

容保の命を受けて秋月が降伏嘆願をしている最中も戦は続く。権八は補給路奪回のため出陣、なんとか米を確保するが命を失う。

佐久「お役目、ご苦労さまでした」
権八「(八重を見て)おなごが煤だらけで……やっぱり鉄砲教えだのは間違いだ」

降伏は受け入れられ、その内容は、女には照姫から、男には容保から伝えられることとなった。子供、年寄、女はお構いなしだが、藩士は猪苗代で謹慎というのが沙汰であった。謹慎とはいえ、その先は行ってみなければわからない。全員死罪になるかも知れないのである。八重は当然のように容保の方にいた。

容保「わしが至らぬばかりに、皆に長きにわたり塗炭の苦しみを味わわせた。相すまぬ。罪は我が一身にある。この上はこの一命をもって、会津を皆の行く末を守る。最後の君命じゃ。何があっても 生き延びよ!」
八重「恐れながら、お殿様は間違っておいでです。何があってもお殿様には生きて頂けねばなりませぬ。私は何度考えてもわからねえ。天子様のため公方様のため尽くしてきた会津が、なじょして逆賊と呼ばれねばならねえのか! 会津の者なら皆知ってる。悔しくてたまんねえ」
八重「死んだ皆様は、会津の誇りを守るために、命を使ったのです。どうかそれを無駄にしねえで下せえ。本当は日本中に言いてえ。会津は逆賊ではねえ。だけんじょ、それを証明できんのは殿様しかいねえのです。だから何があっても生きて下せえまし」

城明け渡しの前夜、佐久と八重。八重は男衆といっしょに猪苗代に行くつもりである。

「お前の考えてる事はわかる。男に混じって猪苗代の謹慎所に行くつもりだべ。猪苗代に送られたらみんな殺されてしまうかもしんねぇんだぞ。私はお前までなくさねばなんねえのか? いくら鉄砲が上手くても、立派な手柄立てても、お前は私のたった一人のめごい娘だ」

翌日。会津藩士が広間に集まっている。これから謹慎所に連行されるのだ。みな暗い顔をしてうつむいているが、誰ともなく会津の民謡を唄いはじめ、表情を取り戻す。尚之助は八重に、この唄を聞くと結婚式を思い出すとささやき、八重は、あんつぁまにもらった紅は赤すぎて、結局一度も人前でつけたことはなかったと話す。それを聞いて尚之助は何事か考えていたが……、突如「女だ! ここに女が紛れているぞ!」と叫ぶ。

新政府軍が声に気付いてやってくれば、男装はしているが確かに女である。規則は規則。八重は置いておくことにした。他の者は連れて行かれ、八重は置き去りにされる。さっきまで一緒に猪苗代に行くつもりだったのに――「尚之助さま! 尚之助さま!」という八重の声が空しく響く。こわばった顔の尚之助は、そのまま振り返らず去ってしまう。

二葉は明け渡す城の廊下の雑巾がけ。

咲「明け渡すのに、どうして掃除すんの」
二葉「戦に負けても、誇りは失っちゃなんねえ。きれいに渡さねば会津のおなごの恥だ」

明け渡された城に板垣率いる新政府軍が乗り込んでくるが、ふと、板垣は、城内がきれいに清掃されていることに気づく。振り返ると自分たちの足跡だけが残っていた……

雑感

会津編の最終回にふさわしい内容であり、熱演であった。細かいことを語り出すときりがないが、今回はなんといっても尚之助さまと八重の別れだろう。

ここまでずっとラブラブで、八重は尚之助を信頼し尊敬し、尚之助は規格外れの八重を丸ごと受け入れ、愛していた。このような二人がなんで別れることになったのか、このドラマ的にはどのような理由をでっちあげるのかが本ドラマの最大の焦点であった(自分比)。もしかして、この大河では二人は別れないままずっと一緒なのかも、という気すらしたが、それを否定するようにオダギリジョーも、じゃなくて新島襄も節目節目で顔を出す。やっぱり別れるんだ……

それが、こんなにすさまじい別れのシーンをもってくるとはね。まず尚之助が会津弁を話すシーンで萌死である。いままで頑なに会津弁を使わなかったのは、このシーンを効果的に持ってくるためか?

尚之助は、佐久が八重に「お前までなくさねばなんねえのか」と話すのを聞いている。それでも尚之助は猪苗代に行くと言う八重の意志を尊重し、いったんは受け入れた。八重の気性からそう言い出すことはわかっていただろうし、尚之助も八重とは別れたくなかったに違いないのだ。

しかし、猪苗代に行って生きて帰れる保証はない。その時はともに死ぬだけだと覚悟を決めていたのだろうが、紅を差したことがない、という話を聞いて、いくら「鉄砲の名人の八重さん」といえども、一度も紅を差すことなく一生を終えさせてしまってよいのか? という思いが瞬間的に交錯したのだろう。ここに残っても平穏無事に過ごせる保証は無論ないのだが、少なくとも命の心配はしなくて済みそうだ。佐久や、他の人たちとも一緒にいられるし。

そこで咄嗟に「女がいるぞ!」と叫ぶことになったのだ。八重を生かしたいという思いからだが、八重がその気持ちに気づくのは恐らくずいぶんあとになってからで、その時は尚之助に裏切られたという思いしかしなかっただろうし、八重がそう感じることは尚之助もわかっていたはず。それに、この選択が本当に吉と出るのかはわからない。だから尚之助の顔は相当にこわばっていた。自分だって八重と別れるのはつらい。そして恐らくこれが今生の別れとなるだろう……

いやあ、ここまですさまじい、ここまで深い愛の発露を大河で見ることになるとは。会津戦争が始まってから、ともすると八重の尚之助に対する関心が薄れているのではと感じる場面があり、もし関心が薄れた挙句の別れだったら厭だなあ、と思っていたのだ。こんなに印象的な別れのシーンは滅多にない。

今回はこの別れのシーンがすべてだ。尚之助さまが最後までいい人でよかった!

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