窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

NHK大河第30回「再起への道」

ここ数年、大河は毎回きちんと見ているのだけど、その感想は大概20回くらいで疲れてやめてしまう。今年はよく続いている。

出演

  • 中村優子(千代)
  • 池田沙弥花(みね)←ここまで書いていなかったので

粗筋

会津戦争の戦後編スタート。

八重、佐久、うら、みねはつてをたどって米沢藩の知人の家に居候させてもらい、反物を売って日々の糧を得ていた。

ある日「その言葉は会津ですか?」と訊かれる。「私もあの戦争で夫を亡くしました」。それが千代だった。

千代の勤め先の主人? が事情を察して、反物を買ってあげなさい、と千代に指示し、みねに野菜を渡して「これをあげよう」という。施しを受けるのを潔しとしないみねは拒絶するが、八重があわてて「ありがとなし」と言って受け取る。

一度遊びにきてくれと言われ千代の家に行くと、千代は八重に鉄砲を教えてくれと乞う。鉄砲の腕を磨いて、いずれ夫の仇を討つのだと。八重が、鉄砲は教えたくないというと、薩長への恨みを忘れたのか! と怒る。そして幼い息子(恐らく父親の顔もろくに覚えていないだろう)に、いつか父親の仇を討て! と命ずる。

その様子を見ていた主人が会津のことをバカにしたような態度をとる(ここで千代がただの使用人ではなく妾であったことが明かされる)と、八重が怒り心頭に発し、棒をつかんで薙刀よろしく男を打ち倒す。なおも向かっていこうとする八重に、千代は「やめて! この人がいなかったら私ら親子は生きて行かれないんだから……」

覚馬は目が見えず、足も利かず、すっかり時栄の世話になって暮らしている。が、花の匂いを嗅いで「目が見えなくても花を愛でることはできるんだな……」とつぶやく。

会津戦争の責任を取って、萱野権兵衛切腹することに。梶原平馬山川大蔵に、必ず会津の汚名を晴らすよう伝えて去る。

函館では土方歳三が死に、旧幕府軍は降伏。これによって戊辰戦争終結することになった。なぜか函館には西郷頼母もいて、「わしは死なん。会津を踏みにじった奴らがどんな世の中を作るのか、見届けてやる」

会津は、容保の命は助かり、お家再興が許され、斗南藩として旧陸奥南部藩領に移住することになった。大蔵は八重に会いに来て一緒に陸奥へ行こうと誘うが、八重は断わる。尚之助からの、八重の居場所を作るために頑張るという伝言を伝えると八重は微笑み、いつまでも待っていますと伝えるように大蔵に託す。

雑感

会津戦争を4回にわたって描いたのに比べると、あちこち端折っているため、わかりにくいが致し方ない。千代とのエピソードに重点を置いた描き方は良かった。多くの人が千代のように薩長(新政府)への恨みを抱えて生きていただろうが、とにかく生きていかねばならず、そのためには会津を見下すような態度の男に身を任せることもしなくてはいけない。これも会津の悲劇のひとつであろう。

八重は、恨みはあるが、後ろを向いては生きられない、前へ進んでいかなければ、と思い、行商も明るくこなし、鉄砲を教えるのを断わり、米沢の地に足をつけて暮らしていこうとする。この描写は悪くなかった。

大蔵が八重を誘いにきたことを、未だに八重に未練があるのかとか、八重に振られるのはこれで何度目だとか揶揄する声がネットであふれたが、会津再興のために有能な人手がほしかったはずで、若く、人望もあり、男勝りで力持ちの八重は欠かせぬ存在のはず。だから誘いにきたのは自然だったと思う。

また、八重はなぜ(尚之助のいる)斗南に行くことを拒絶したのか、ネットでも諸説飛び交っているが、そもそも、当初男たちが猪苗代に連れて行かれたのは謹慎のためで、行きたくないと断わることはできなかったし、逆に女はついて行きたくても行くことはできなかった。この禁はいつごろ解けたのだろうか。それが明示されなかったので「???」であった。

お家再興がかない、斗南藩命名された時点で、恐らく謹慎は解けたのだろう。それで、斗南に行く者は行く、家族を連れて行く人は行く、大蔵のようにかの地を離れてこうして米沢まで来ることも許されたわけである。

八重たちは米沢で生活の基盤を築きかけていた。その地を離れてまた勝手のわからぬ斗南で一から苦労をするのは、簡単に決断できることではない。八重ひとりならともかく、幼いみねや、年老いた佐久がいるのだ。となると、尚之助が斗南へ行かず、米沢に来るのが自然ではないだろうか。女所帯はどうしたって不安だ。男手はほしかったはずである。

前回の終盤の「別れ」が、尚之助にも八重にも傷になっていて、素直に再会できなかったのかも知れないが、生きるか死ぬかの闘いをしている時に、そんなことが理由になるかな。だから僕の疑問は「なぜ八重は斗南へ行かなかったか」ではなく「なぜ尚之助は米沢にこなかったのか」である。

オープニングで、何気なく小田時栄が「山本時栄」とクレジットされていた(そうな)。げげっ。「花を愛でる」というのは暗喩で、実は○○の意味であったか。西島秀俊は本当に目が見えないようにみえる。すごい演技だ。

大蔵が訪ねてきた時、佐久は会津の郷土料理「こづゆ」を作ってもてなす。ご飯もおかずも何もない、ただ椀一杯なのだが、大蔵は「会津の味だ、懐かしい」といって泣く。これもいいシーンだった(「こづゆ」が何かよくわからなかったのが残念だが)。

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