窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

NHK大河第39回「私たちの子ども」

今日の見所

みねと伊勢時雄の出会い。みねは伊勢にフォーリンラブ。

粗筋

同志社女学校の生徒、小松りつは薩摩出身だが、父親は戊辰戦争で死んだことから会津を恨んでいた。八重が会津出身だと知り、まさか会津の人が経営する学校だったとは知らなかった、辞めると言い出す。しかも、どうやらりつの父は八重の鉄砲に撃たれて死んだらしいのだ……

出演

雑感

言いたいことは山ほどあるのだが、うまくまとめるのが難しい。

戦争体験者の苦しみというのは、家族や知人が殺された、自分もケガをした、飢えて苦しんだ、国を盗られてみじめな思いをした、……という「被害に遭った」ことだけではなく、「人を殺してしまった(殺すのに加担した)」というのもあると思う。普通の生活をしていればそんなことはしないわけで、そんな経験をしてしまったら、生涯心の傷になってもおかしくない。

八重も、夜寝ていてたびたびうなされる、という描写があった。覚馬も「八重の苦しみは誰も代わってやれない。自分で乗り越えるしかない」と語っていたことがある。この「苦しみ」は家族を殺されたことではないだろう。それなら家族で共有できるからだ。

今回は、その「苦しみ」を八重も必死で乗り越えようとしていることが描かれた、ということか。

八重がりつに土下座して謝罪したことに対して批判的な意見をあちこち目にするが、そのくらい八重の中では傷になっていたということだろう。

ただ、廃藩置県があり、中央集権国家になって、同志社にも熊本をはじめ、全国から人が集まるようになった。当然、薩摩や長州からも人はくるだろう。八重が会津出身と知ればどう思われるか、そんなことははじめからわかっていたはずだが、りつに指摘されるまで手をこまねいていたように見えるのは納得がいかない。ジョーは、明治維新で(というより、戊辰戦争に代表される内乱で)傷ついた人たちを救いたいと思って学校を設立したはず。ジョーは彼女ら、彼らに何を教えたのだろう。

覚馬は顧問職を辞してぷう太郎に。時栄や娘・久栄に「これからはお前たちとゆっくり過ごせるぞ」と笑い、喜ぶ時栄・久栄の様子を立ち聞きしていたみねが(恐らく)「私はおとっつぁまに遊んでもらったことなんかない……」と複雑な表情をしていたのはなかなかぐっとくるシーンだった。

みねは、うらに手紙くらい出してんのか? 完全に縁が切れてしまったのか? そもそもみねは、山本家の娘でいることに納得しているのか? わだかまりはないのか? 自分だったら、「今は黙っているけど、いつかおっかさまを迎えに行く!」と心に決めていると思うけど、その葛藤を描くのはこの作品的にはもう範囲外なんだろう。

ただし、その後佐久が洗礼を受け、八重やジョーの仕事を手伝いたいと言ってきた(平たくいえば覚馬の家を出て八重と同居したいと申し出た)のは、覚馬辞任の一件と無関係ではないように思える。覚馬が仕事していれば、時栄も付き添いで出かけることが多く、幼い久栄の面倒と家を守るのは佐久しかいない。でも覚馬・時栄が日がな家にいれば自分の居場所はないと感じてしまったのではないか。一緒についてきたみねに関しては、少しでも伊勢時雄に近いところにいたい、という単純な動機だったかも知れないが。

配役

大後寿々花ガリレオ(第一シーズン)に登場して知っているはずだが、あとで名前を調べるまで全くわからなかった。あまりにも印象が違う。もっとも、ガリレオに出演したのは15歳の時、今は20歳だから、印象が違って当然かも知れない。
(2013/10/03 記)