窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

NHK大河第41回「覚馬の娘」

日曜日は出かけていて見られなかったため、録画を視聴。

粗筋

京都では知事と議会の対立が激化。地方の負担を増やす国の政策を受けて槇村は税の増収を図るが、議会を通していなかったことから覚馬らが激怒。新聞を味方につけて槇村の横暴を批判する。「今は戊辰の頃とは違う。たとえ負けても、どちらが正しいか世に問うことができる」。結局、槇村は知事を辞めて元老院に。辞める際に集会の規制を解除していく。民主的な知事だったと評価されるために。覚馬は、槇村の剛腕なくしては京都の復興はなかったと讃える。

伊勢時雄がみねを嫁にほしいと覚馬に願い出る。「悪い縁談ではねえと思うが、どうだ?」とみねに問う覚馬にみねが逆上。私はおっかさまから、お前は山本家の跡取りだ、婿を取って山本家を継ぐのだと小さい頃から言われて育った。だから嫁にはいけないと思っていた。でも今は久栄がいるから私なんかどうでもいいのかと……

雑感

明治篇は、政治の部分は駆け足で駆け抜けているため、槇村正直京都府知事として、結局何を成したのかわからない。初期の頃の変節ぶりはなかなかのやり手であることを想像させたが、そもそもなんで覚馬と対立するようになったのか不明だし、その後は高嶋政宏の顔芸しか印象にない。だから今さら覚馬との和解(?)のシーンを見ても、いいシーンなんですねきっと、と思うだけであまりエモーショナルではなかった。

しかし「たとえ負けても、どちらが正しいか世に問うことができる」このセリフは、さらりと流された感があるが、この物語の中では極めて重要な意味を持つ。会津戦争のあと、八重は「日本中に言いてえ。会津は逆賊ではねえと」と悲痛な叫びを漏らしたが、もちろん、その声が日本中に伝わることはなかった。今は伝える手段ができたのだ。

みねは伊勢を好きで、文通もしていて、もちろん当時のことだから、抱き合ったりキスしたりなんてことはなかっただろうし、手紙にも好きだとかなんとかそういった浮ついた言葉はなかったはず。そんな伊勢から求婚されたのはさぞ嬉しかったに違いない。が、それはそれで「婿を取って山本家を継ぐ」という幼い頃から躾けられた使命に反することで、みねの中では葛藤があったわけだ。

この使命を表に出すということは、うらの存在を表に出すということであり、新しい生活にすっかりなじんでいるように見えてもうらのことは忘れていなかったのかと安心させられた。もううらのことは出てこないと思っていたので。

結局、伊勢の嫁になることを決意したみねに告げた覚馬のセリフはなかなか良かった。

どこまでもついて行け。何があっても離れんじゃねえぞ。んだけんじょ、どうしても困ったら、そん時は大声を出して呼べ。お父様が助けに行く。

この前に、覚馬の政敵からみねが嫌がらせを受けるシーンで、本来は立てないはずの覚馬が(杖にすがりつつも)一人で立ち、暴漢を撃退するシーンがあったから、このセリフには説得力があった。もらい泣きさせられた。