窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

NHK大河第40回「妻のはったり」

粗筋

同志社は、外国資本が入っていることを危惧する明治政府から廃校を命じられる。これはかろうじて免れたものの、予断を許さない状況が続く。一方、アメリカの教団からは牧師になる卒業生が少ないと指摘を受け、外国人教師からの不満も噴出していた。板挟みに遭い、苦悩するジョーに、生徒たちは弱腰のお人よしだと批判的。それを耳にした八重は、ジョーの額の傷は役人とやりあった時にできた刀傷だと言ってしまう。

府議会議員の選挙が実施されることになった。当時の選挙は高額納税者の男子のみで、立候補はない(おのおのが当人の意志とは関係なく選ぶ仕組み)。山本家に突然、覚馬がトップ当選したという知らせが届いた。当選した府議のメンバーは、大半が予算の仕組みも知らず議員が何をするのかもわかっていない。そんな中で覚馬が議長に選ばれ、議員の役割と責任を説いていく。覚馬を煙たく思う槇村府知事は露骨に不満げな顔を見せる。

雑感

京都篇に入ってから、いろいろ批判する人もいるが、楽しく見ている。昨年の「平清盛」や今年の「会津篇」のように、手に汗を握りながら、緊張して見るのも悪くないが、そればかりが続いたら体力が持たない。気楽に見られるのは重要である。話のつながりを欠いて物足りなく感じる部分もないではないが、一昨年の「江」やその前の「龍馬伝」に比べれば、そう悪くないと思っている。

ただ、ひとつだけ不安がある。この物語はいったいどこに着地しようとしているのか? という点だ。第一回京都府議会が行なわれたのは1879年だから、八重はこの年34歳だ。50回の大河ドラマのうち、既に40回が終わった。このまま同志社の話(つまりジョーの話)や京都府議会の話(つまりあんつぁまの話)をだらだらと続けていたらすぐに終わりが来てしまう。

日清戦争は1894年(八重49歳)、日露戦争は1904年(八重59歳)、勲六等宝冠章が授与されたのは1905年(八重60歳)。新島八重の人生のハイライトはこのあたりだと思う。ここにつなげるために、会津戦争時代も、鉄砲を撃つ場面だけでなく、怪我人の介護をするシーンも執拗に描いていたのではなかったか。でもこのままでは、とても日清戦争までたどりつけそうもない。

考えてみると「江」もそうだった。江が歴史の表舞台に出てくるのは秀忠の嫁になってからなのだが、いつまで経っても秀忠と結婚せず、本来江とは関係ないはずの出来事に無理やり江を絡めて描いているのがうんざりだったのだ(肝心の、徳川の世になってからのことは端折りまくった)。会津戦争はいい。八重に関係ないとは言わない。が、同志社府議会も本来は八重に関係のないこと。このあたりはすっとばしてよいと思うのだが。
(2013/10/10 記)