窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

ようやく意味がわかった「鑑定人と顔のない依頼者」

恐らくこれが今年最後の一本になるだろう。この週末に新たに公開された作品に興味を惹かれるものがなかったこともあり、結局この作品を繰り返して観ることにした。

18時半からの上映に対し、17時半ごろに行ったら既に残り僅少の案内があり、最前列か二列目しか空いていないとのこと。仕方なく二列目の席を取り、食事を済ませて18時15分ごろ戻ってきたら、完売していた。

二週経ってもこの人気。上映館が少ない影響もあるのだろう。年が明けたら拡大ロードショーとしてもいいのではないだろうか?

題名鑑定人と顔のない依頼者(2回目)
劇場TOHOシネマズ シャンテ

雑感

前回観た時は、何が起きたのかわからず、その後ネットでネタバレ解説をあれこれ読んでやっと「こういうことだったのか?」とアタリをつけたのだが、今回ようやく事件の概要を理解することができた。その意味では、あっと驚くどんでん返しの待つミステリーではあるが、繰り返しの鑑賞に耐える作品でもある。
【以下、ネタバレを含む】

ヴァージルはこの年になるまで女性と付き合ったことがなかったが、初めて生身の女性を好きになり、心を奪われていく様子は、可愛らしくもあり、哀れでもある。年齢は重ねていても恋愛経験がないから初心(うぶ)なのである。初めて観た時は「うまくいくといいナ」と応援していたし、結論を知ってみると切ない。

しかしヴァージルに同情する気が起きないのは、彼の愛情も信用できないと思うからだ。生まれて初めて好きになった、愛を告白した、一緒に暮らすようになった、生涯賭けて集めてきた秘密のコレクションも見せた。特にこのコレクションは、存在が公になれば手が後ろに回ることになりかねないので、本当に信頼している人にしか話せないはずで、その意味で彼はクレアのことを心から信頼したのは事実だろう。

ところが、彼が鑑定したクレアの家財道具一式の中で、最も高価だと思われるものについては、カタログには載せず、その存在を最後までクレアに伝えなかった。これは「依頼人」に対するひどい裏切りではないか。もしかしたらクレアは、部品を小出しに提供しながら、いつ話をしてくるか待ち構えていたかも知れない。結局最後まで黙っていたのだから、クレアらにしてみたら「お互い様」であり、ヴァージルを裏切ることにいささかの疼痛も感じずに済んだだろう。

なぜヴァージルはクレアに話さなかったのか。クレアのことが好きでなければ、いつもの調子で、無知な依頼人をうまく騙してひと儲けしようと思っただけのことだろうが、ことここに及んでも黙秘していたのは不思議である。

さて、ビリーは、ヴァージルの最も大切なものを取り上げることで積年の恨みを晴らせたからこれで満足であろうが、若いクレアやロバートは、個人的にヴァージルに恨みがあったわけではないだろうから、目的は金だろう。彼らが奪った絵はいったい何百億、何千億の資産価値があるのか計り知れないほどである。が……絵画というのはおいそれと現金化できるものではない。腕のいい仲買人と、そういうものに対して金を払うのを惜しまない顧客がいてはじめて成り立つわけであるが、恐らくそうした販売網、情報網に関しては、なんといってもビリーよりヴァージルの方が一枚も二枚も上だろう。ましてクレアやロバートに絵の一枚も売りさばけるとは思えない。

つまり、今後ビリーが絵を売ったら(市場に出てきたら)すぐにヴァージルの耳に入るのではないか。そうしたらビリーらの居所を突き止めることもできるのではないか。劇中には出てこなかったが、ヴァージルは裏社会とのつながりがある可能性もある。単に逃げるだけなら難しくないかも知れないが、ヴァージルに見つからないように絵を金に換えるのは相当苦労すると思う。

恐らくビリーは金には困っていない。そして絵に対する関心がある。だからすぐに絵を売らなくてもいいかも知れない。が、ロバートやクレアは高額な分け前をビリーに要求するだろう。特にクレアは何ヶ月にもわたって体当たりの演技をし、爺さんのセックスの相手までしたのである。わずかな金では満足できないだろうし、何年も待つこともできないだろう。彼らはあっという間に仲違いし、下手したら切った張ったのやりとりになる可能性もある。ヴァージルよりも不幸な人生を歩むのではないだろうか。

ところで、ドラマの前半で、ヴァージルは「贋作の中にも真実がある」と強調する。これは何を暗喩するものか。クレアのヴァージルに対する愛もフェイクだったわけだが、その中にも真実があった? とすればそれはナニ? ヴァージルにしてみれば。とにかく初めて生身の女と咬合したわけで、その感触だけは真実だったということだろうか? しかしそうしたフィジカルな話ではなく、もっとメンタルな意味もこもっていたように思われる。