最終回の最後で、ひなたがローレンス先生――ビリーを、「家に来ませんか?」と誘うシーンがある。もちろんこれは、ちょうど50年前に、ひなたがビリー少年に言いたかったけれど言えなかったセリフ。この「忘れ物」を、時間がかかったけど、ちゃんと届けることができて本当によかったと思う。望み得る最高のラストシーンだ。
界隈で、ひたなの運命の人はビリーだった、とか、ここから何かが始まる予感、とか、ざわざわしている。含みを持った終わり方だから、余韻として何を思いめぐらすかは好き好きではあるが、自分は、何も起こりはしないと思っている。というより、何かが起きると期待することは、この作品の理解としてずれているのではないかと思うのだ。
ひなたに誘われて「もちろん」とビリーも答えたけれど、本当に大月の店に行ったかどうかは怪しい。映画村からだとわざわざ電車に乗らなければならず、少し遠い。そもそも今の大月はひなたの家ではない。「覚えていますか。あの時私はこう言いたかったんですよ」と言って近くの喫茶店にでも入るのが常道だと思う。
ひなたは結婚も出産もしなかった。これは朝ドラの主人公としては珍しいらしく、これまでは「オードリー」の主人公だけだったそうだ。が、なにも結婚が人生の目的ではない、ということを堂々と体現していた。五十嵐と再会し、五十嵐から「いい人いないの?」と訊かれた時に、ひなた自身、あ、私は別に「いい人」がいなくてもひなたの道を歩いているなーと気づいたのではないか。
一方、五十嵐が虚無蔵を映画に出るよう説得する場面で明らかになったように、ひなたと五十嵐は共鳴している。恋愛感情がなければ共鳴できないわけではない(恋愛だけが共鳴の条件ではない)ことを示したのだ。それでこそ令和のヒロインではないか。
ローレンス先生は、仕事の上での大切なパートナーであり、信頼できる仲間であり、これからも支え続ける関係であるかも知れない。だがそこに恋愛感情が「なければらなぬ」と考える必要はないと思うのだ。