窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

早くもため息。「花燃ゆ」第2話「波乱の恋文」

初回をベタ褒めしたが、今回はため息しか出てこなかった。

出演

粗筋

寿に200石の内藤家との縁談が持ち込まれる。26石取りの杉家は家格が合わないと断わろうとするが、相手は、天下の吉田寅次郎の妹なのだから問題ないと言い、寿もすっかりその気になる。が、そんな矢先に寅次郎が脱藩をやらかしたため、当然破談になり、杉家は罪人を出した家として後ろ指を指される生活を余儀なくされた。しかし百合之助や滝らは、寅次郎には寅次郎の事情があったのだろうと、変わらず援助を続ける。そんな家族に寿は納得の行かないものを感じるが……

伊之助は、江戸の長州藩邸で寅次郎と生活をともにするうちに、寅次郎にすっかり魅了される。寅次郎が脱藩しお尋ね者になっても変わらず寅次郎を支持する決意をし、弁明のため長州へ戻ってくる。この時、志乃は既に亡くなっていた。手紙には体調が悪いと書いてあったが、自分を呼び戻すための嘘だろうと伊之助は取り合わなかった。が、本当に具合が悪かったのだ……

文は、寿は賢いから、学問好きの伊之助とは似合いの夫婦になると寅次郎が書いてきたことを伊之助に告げ、寿と夫婦になるよう頼む。伊之助は、寅次郎の弟になるのは悪くないと、これを受ける。

雑感

どこからコメントしていいのか迷うが、疑問に感じたことは2点。江戸に赴いた寅次郎は佐久間象山に弟子入りする。当代随一の人物だと口では述べるが、肝心の佐久間象山が登場しない。それから寅次郎が脱藩するが、脱藩の理由は描かれない。

幕末の長州藩を文の視点で描くのであるから、前半の主役は吉田寅次郎だろう。それなのに、彼に大きな影響を与えた佐久間象山が登場せず、また大きな転機となった脱藩の理由が描かれないのは不可解というしかない。ナレーションが、ロシアの視察は重要でありたとえ罪人になっても敢行する必要があったと説明しているが、その前に、視察旅行の許可は取れており、通行手形を待つだけと述べているだから、なぜ手形の発行を待たずに焦って脱藩したのか、理解不能である。

この時寅次郎はミヤベ君とエバタ君と一緒に東北に行く約束をしていたのだが、約束の日になっても通行手形が発行されなかったため、約束を違えるわけには行かないと考えたのだ。同じ長州藩の人ならまだしも、二人とも他藩の人間。他藩の人との約束を破れば、ことは寅次郎一人の話では済まず、長州人はそういう人だと思われてしまうと……。今回、「至誠」という言葉が強調されたが、その具体的な内容は触れられていない。脱藩の事情をきちんと描けば、寅次郎の考える「至誠」の具体的な内容も明らかになるし、伊之助が心服する理由もわかったのに……。

もっとも、そもそも脱藩してまで強行した東北の視察旅行については、番組終了後の紀行で説明されるだけでドラマの中では描かれなかったから、もうこのドラマは、そういうことを描く気が全くないのだと解釈するほかはない。

肝心要の東北視察を描かずに、ドラマ本編で何を描いていたかというと、寿の婚姻話である。破談になったり新しい人との縁談がまとまったり、その寿の喜怒哀楽を描き続けたのだ。そして寿と伊之助を結びつけたのが文だった、というわけだ。恐らく伊之助は後半の主役になるはずで、その伊之助の(最初の)結婚だから多少の尺を取って描くこと自体は構わないが、寅の脱藩や東北視察よりも縁談の方に重点を置くのだとしたら、それはもう歴史ドラマとは言えないのではないか。

あとはまあ些細なことだが、幕末の恋愛ドラマとして見てもおかしなことはいろいろある。

  • 破談になったあと、寿が内藤一馬に、ご家族が反対されるのはわかります、でも貴方のお気持ちは? と訊く場面がある。貴方の気持ちも彼方の気持ちも、この時代の武家の婚姻は親の判断がすべてであって、当人同士は結婚するまで顔も知らないのが当たり前だった。そんな時代に貴方の気持ちを確かめに行く寿の行動原理がわからない。
  • 寿が文に対し「私はあんたと違って婚活を必死でやっている!」と見栄を切る場面もあるのだが、この時代の婚活であれば、炊事裁縫の腕を磨くことが第一。身分は如何ともしがたいが、花嫁修業を頑張ればいい縁談が舞い込むかも知れないから。家事の苦手な寿は、いったいどんな婚活をしたというのか。
  • 寅が「伊之助と寿は似合いだ」と突然文に書き送ってくるのも不自然。普通なら、まず伊之助に「わしには寿という妹がいるんだがどうだ」と語るであろうし、本気で寿を伊之助の嫁にと考えるなら、父母に書き送るだろう。幼い文への手紙に書いたところで、それにどんな意味があっただろう。伊之助も、寅の文への手紙を見せられた時にそう感じはしなかったのだろうか。
  • 井上真央の行動がやけに子どもっぽいと思ったら、あれは8歳の設定なのだね。文が8歳だというなら、前回同様山田萌々香に演じさせればよかった。井上真央を使うなら、成人の振る舞いをさせればよかったと思う。もともと文は、歴史的にはいてもいなくてもいいような存在。だとしたら、年齢設定を無理に史実に合わせる必要もないはず。アラサー女子に幼児のような泣き方をさせる不自然さを、もっと考えろと言いたい。
  • それにしても、主人公が人のあとについていってこっそり立ち聞きする、という「江」で確立された手法がすっかり定着してしまった。もっと演出に工夫を凝らしてもらいたい。

正直、二回目にして、もう今年は見るのをやめようかと思い始めている。見るけどね。

1851年における年齢

役柄   役者  
杉文 8 井上真央 27
杉寿 12 優香 34
吉田寅次郎 21 伊勢谷友介 38
小田村伊之助 22 大沢たかお 46
周布政之助 28 石丸幹二 49
来原良蔵 22 松本実 40

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