当時の「国」とは/「花燃ゆ」第1話「人むすぶ妹」(続)

これはドラマに対する批判ではなく、ドラマを見て感じたことである。

寅次郎も伊之助も、「日本のために」「日本を守るために」と盛んに口にする。「日本」という言葉は日本書紀の昔からあるわけだが、その意味するところは時代によって異なるはずで、江戸時代にはどういう意味合いを持っていたのだろうか。

徳川幕府の治める範囲、権力の及ぶ範囲というのが実態としてあるから、徳川家の直轄地および300余藩をすべてまとめた組織体ないし土地を示す言葉は必要で、それが「日本」だと考えればおかしいことはないが、物事を考える時に、そうした日本全体を枠組みとしてみなる考え方はどこまで一般的だったのだろうかと思うのだ。

当時の人にとって、「国」とは長州なら長州、会津なら会津のことである。国が違えば言葉も違うし風俗習慣も違う。顔つきも違う。それは、相手に対する尊敬の念もあるし、学べるものがあるなら学びたいとも思うだろうが、相手が困っている時に我が身を犠牲にしてでも助けるというような同調意識はあったのだろうか。

例えば、ロシアが攻めてくるかも知れない、そのこと自体をほとんどの人が知らなかっただろうが、仮に知ったとして、ロシアが攻めてくる先がたとえば松前藩だとするなら、長州にとっては関係ない話なのではないか。兵学師範の寅次郎が考えるべきは、長州の平和であり、長州を攻めてくる者があった時にどう対抗するかであって、よその藩のことはどうでもよいのではないか。寅次郎もそのように教わってきたはずで、いや、他藩のことは知らぬでは済まないのだ、と考えるに至ったのであれば、その経緯が知りたかった。

いずれにしても一般の人は「長州藩士は長州藩のことを第一に考えるべき」と思っているはずで、玉木文之進あたり、そのように寅次郎に説教をかましてもおかしくない。少なくとも藩主・毛利敬親に対しては「長州藩のために(頑張ります)」と言うべきである。日本国のために、と言われても敬親は困るだろう。

……というように思うのだが、実際はどうだったのだろう。江戸幕府は、今日の基準でいえば中央集権国家とはいえないが、意に背く藩があれば適当な口実をでっちあげて藩を取り潰すことができる程度の権力は持っていたわけだし、参勤交代を通じて地方と中央の交流はかなり進んできた。思っているより「日本」というカテゴリーは庶民にも実感できるものであったのかも知れない。そのあたりの「感覚」が知りたいものである。
(2015/1/12 記)