窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

「カムカムエヴリバディ」(20):英語番組の再開

第四週「1943-1945」(金)

放送日

  • 2021年11月26日

概要

安子がたちばな跡の小屋を片付けていると、かっぱらい少年がやってくる。この少年が夜金太を訪ねたこと、金太が「よう帰って来た、算太」と言って倒れたこと、医者を呼んだことなどを語る。そして、おはぎの売上だといって結構な額の金を安子に渡す。

少年は言う。最初は持ち逃げしようかと思ったが、どうせなら売ってみようと思い、高く売れるよういろいろ工夫してみた。結果、高く売れた。商売の面白さに目覚めた。だからこの売り上げを渡したかったと。安子は、父が最後に兄に会えたことに安堵し、その金を少年にもう一度渡す。少しずつでも何か商売を始め、前を向いて生きられえと言って。

三ヵ月半後、ラジオで基礎英語講座が再開された。突然の中断から四年ぶりのこと。安子は、英語の勉強をすることで稔に近づける気がして、英語の勉強を再開する。

そんな時に、勇が帰還。家族全員で喜ぶ。小笠原に配属されてたが、相当に嫌な思いをしたようだ。

その後、雉真家に、稔戦死の通知がもたらされる。安子は神社へ行き、泣き叫ぶ。

今日の雉真家

美都里「そりゃあよかったわ」
勇「よかあねえ! 戦場にいいことなんか、ひとつもねえ!!」
美都里「……」
勇「あ、ごめん、母さん」
千吉「なんも話さんでええ。みんな、お前が帰って来たことを喜んでいる。それだけじゃ」

雑感

予想されていたことではあったが、稔は生きて戻ることはなかった。これで安子は、一週間(番組上)の間に、祖母、両親、夫を失ったことになる。鬼のようなストーリー展開だ。

稔の死を知った安子が、神社へ駆け出していく時に、すべての音が消え、視界がぐらぐら揺れたのが、彼女の心象風景をよく表していた。すごい演出だった。

安子の家族の死を知った勇は、きちんと手を合わせ、「ご愁傷様でした」と挨拶をし、「てえへんだったな」とねぎらいの言葉をかける。本来、勇は優しく、礼儀正しい人間なのである。しかし、幼い頃から、勇の口からは嫌味や、からかいの言葉しか聞いたことのない安子にとっては、とても意外なのではないか。勇よ、もっと早くからそうしていれば、あるいは……。まあ、人はそうやって成長してくものだし、後悔は後を絶たないものだ。

ちなみに、勇が配属されていたのは小笠原のどこか。硫黄島は有名は激戦区で、日本軍は全滅したはずなので、そこではないだろうが、近隣の島も、恐らく負けず劣らずの激戦区であり、相当に嫌な思いをしたに違いない。だからこそあえて「小笠原」とぼかした言い方をしたのだろう。

少年

金太がかっぱらい少年に、おはぎ代を無料にしてやったり、小遣いを恵んでやったりするのではなく、商品を渡して「売って来い」と言ったからこそ、この子の魂が育った。たちばなの菓子で救われる人もいる、と金太は語ったが、この子は確実に金太に救われた。

今週は次々に人が死んで辛かった。稔は戦死してしまうのか、生きて帰還するのか、ということ(だけ)を気にしていたのは甘過ぎた。つくづく思うのだが、このドラマは100年を描くという。100年を描くということは、物語序盤に登場した人は、物語が終わる時には全員生きてはいないのだ。雉真の千吉も美都里も、今回生還した勇も、もちろん安子も、物語の中でその死が描かれるかどうかは別にして、必ず死ぬのだ。長編ドラマは、人が死ぬ物語でもある。そう覚悟して、来週に備えよう。

この後の展開

次週の予告などは一切見ていない。

稔がいないとなると、雉真の跡取りは勇になる。勇の嫁取りの話が出るはず。

戦後、未亡人が、戦死した夫の弟と再婚することがよくあったと聞く。家を守るという意味では一定の意味があっただろう。

以前は、雉真と菓子屋の娘では釣り合わない、と多くの人が考えたが、戦時中や、戦後の混乱期に、よく働く安子は雉真家にとってなくてはならない存在だっただろう。頭取の娘だったら、美都里と二人でおろおろするばかりで、たいして役に立たなかったのではないか。だから千吉も美都里も、いい嫁が来てよかったと思っているはずだ。

しかし、徐々に復興し、雉真も再び商売を始めるとなると、やはり商売に有利な相手と手を結びたいだろう。そうして勇が結婚し、仮に男の子でも授かったりすると、安子(とるい)の居場所がなくなることになりかねない。そして幸か不幸か、安子にはもう「実家」がないのだ。

という状況で、今後の安子のたどる道は……



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