窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

「ミステリと言う勿れ」(12)

題名

  • 「ミステリと言う勿れ」第12話〔フジテレビ〕

放送日

  • 2022年3月28日

登場人物

あらすじ

美術展を見終わった久能整は東京へ帰る新幹線に乗車。弁当を食べようとした時、隣席に美樹谷紘子が座った。何となく気恥ずかしい整は、早々に弁当を食べて寝てしまう。

うたた寝から目覚めた整がふと隣席を見ると紘子が手紙を読んでいた。便箋を見た整は思わず“な、ご、や、に、は、く、る、な”と口にする。驚く紘子に整は謝罪。だが、手紙にそんなことは書いていないので、紘子には意味がわからない。整は文章ではなく、イラストの頭文字を並び替えたのだと教える。すると、紘子は他の手紙も整に見せた。

紘子は整に手紙は父からのものだと話す。両親を幼い頃に亡くした紘子は、亡き母の親友が引き取って育ててくれた。しかし、最近になり紘子は育ててくれた母のクローゼットに古い手紙が隠してあるのを見つける。それが、今読んでいた手紙で父が今の母に宛てたもの。今の母から両親は亡くなったと聞いていたが、父の手紙は紘子を返して欲しいと訴えていた。手紙に書いてあった住所に、紘子が手紙を出してみると返事が来た。結婚を控えた紘子は、父にバージンロードを一緒に歩いて欲しいと頼むため、そこに向かうところだと言う。

しかし、手紙のイラストは解くほどに危ういメッセージが連なる。そんな二人の様子を見ながら徐々に席を移り近づいて来る人物がいた。ついに後ろの席まで来た時、整が声をかける。それはサキという女性だった。

その頃、犬堂我路たちは風呂光聖子らを助け、辻浩増から愛珠の死の真相を聞いていた。だが、そこには新たな謎が……。(公式サイトより)

雑感

今日が最終回だが、非情に後味の悪い終わり方だった。岡田准一主演の「SP」というドラマを見た時に、役者もすごいし話も面白いけど、構成というか引っ張り方が最悪、と思ったが、今回はそれに勝るとも劣らない酷さだ。フジテレビの悪いところが良く出ていた。

自分は原作を読んでいるので、愛珠の事件がまだ未解決であることを知っている。だから、バスジャック事件を取り上げるなら、殺したのは煙草森でした、終わり、でも良いのではと思っていた。理由はふたつ、ドラマにはドラマの枠があるから、その中で話をまとめる必要があることと、愛珠の事件はガロの物語であり、基本的に久能は関知しない。久能が関知しない話を取り上げなくてもいいのでは、と思ったから。

しかし問題は解決しなかった。なぜ愛珠はバスに乗ったのか、と話を引っ張ってしまったため、迷走が始まる。漂流郵便局の話で、愛珠に自殺願望があったことがわかる。持病の薬を飲まないことで緩慢な自殺を試みる。結局ジュートに殺してもらうことになり、バスに乗ったが、ジュートに殺される前に煙草森に殺されてしまった……。では、なぜ自殺願望を持つに到ったか? カウンセラーと称するやからに誘導されたのではないか、という謎が立ちふさがったところで終わりになった。

久能の反対側にガロが立ち、ガロと久能は交わらないが、気持ちはある意味通じ合っていて、ガロの話も並行して転がしていきたいのだろう。そのことは悪くない。しかし、原作でも未解決の問題を取り上げてしまったから、見事に尻切れ蜻蛉な終わり方になってしまった。

前回と今回の連続殺人事件に久能は登場しない。何もしないわけにはいかないから、列車内暗号事件という短い話を挟んだのだろう。それはいいけど、三人掛けのシートの端に久能が座っていて、そこにやってきた美樹谷紘子は、なぜ窓際の席も空いているのにわざわざ久能の隣に座ったのか。普通は間を開けるだろう。紘子とサキが込み入った話をするのに、「僕、聞いていませんから」と寝るふりをするが、座席はガラガラなんだから、移動すればいいのに隣に陣取っていたのはなぜだろう(興味があるから離れたくなかった、それはわかるけど)。そもそも印象派展を大阪開催にした意味はなんだろう。

このドラマは、個々の役者はすごく頑張っていた。池本は、出番を大幅に減らされる中、顔芸で印象に残る活躍をし、風呂光は、封建的女性の役割を押し付けられつつも、努力を続けた。久能も、ライカも、……。とにかく元々がしっかりした話だから、少々崩しても、依然として面白いのだ。が、全体の構成や脚本はお世辞にも褒められないし、良いドラマだとはいえない、というのが正直なところだ。スタッフが一新されない限り、第2シーズンがあっても見る気は起きないなあ。



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