窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

半兵衛と差があり過ぎる……/「軍師官兵衛」第14話「引き裂かれる姉妹」

出演

粗筋

羽柴秀吉黒田官兵衛らは福原城をわずか一日で落とす。播磨で毛利に通じるのは、あとは上月城のみ。しかし上月景貞は光の姉の力の嫁ぎ先であり、姉妹で争うことを避けたい官兵衛は、織田に寝返るように景貞を説得するが景貞は応じない。仕方なく力づくで攻めることになる。

親戚ゆえに内通を疑われてはいけないと官兵衛は積極的に先鋒を買って出るが、宇喜多直家が援軍をよこしたため膠着状態となる。そこへ山中鹿介がやってきて大暴れ。宇喜多の兵は引きさがり、上月は籠城するしかなくなる。その上命惜しさに裏切りが出て、主君を売るからと助命嘆願をしてきた家臣がおり、上月は落ちる。しかし簡単に主君を裏切るような家臣は信用できないと、信長は全員殺すことを命じる。

かくて播磨は統一されたが、人の心の恐ろしさを知った力は出家することになり、二人の子は官兵衛が預かることになる。

雑感

官兵衛は焦るばかりで戦局が見えておらず、危ぶんだ半兵衛が山中鹿介尼子勝久らを次鋒として配置していたために勝ちが拾えた。前回に引き続き、またしても半兵衛の軍師としての凄さばかりが目立つ回だった。

姉妹で争ったり家臣に裏切られたり……こんなことになるのは戦国の世だからだ、早く天下を統一し、戦のない世を作ってくださいませ……と光が官兵衛に頼み込むシーンがあった。以前にも誰かが似たようなセリフを喋っていた気がするが、気づかないふりをしていたのに、今回はここまで堂々と話されてはスルーもできない。大河ドラマで戦国時代を描く時、戦のない世を作るために天下を統一するのだ、ということにしておかないといけない「内規」でもあるのだろうか?

いくら戦国時代でも、一般庶民はもちろんのこと、武士の中にだって、できれば戦はない方がいい、殺したり殺されたりなんてまっぴらだ、と思っていた人も大勢いたのではないかと思う。しかし、世の中から戦をなくすためには、天下が統一されればいい……というように考えた人はほとんどいないのではないだろうか。

だって天下を統一するためには、これから先、いったいどれだけ多くの戦を起こし、何人の人が死ねばいいのか、戦のない世どころか、ますます激しい戦争をここかしこでしなければならないのだから。それに、天下が統一されたら戦がなくなるという保証もない。秀吉は、ようやく日本の統一に成功したと思ったら次は朝鮮に出兵した。信長も、国内統一に成功したら、中国や天竺(インド)まで覇を延ばそうとしていたという説もある。

戦をなくすには、それぞれの殿様がそれぞれの領地を守り、欲を出さず、隣国に攻め入ったりしなければいい。小国の分立状態をよしとするわけだ。そうすればすぐに世の中から戦はなくなる。実際、「これ以上の領地はいらないから、誰も攻めてこないでくれ!」と思っていた領主も多かったのではないかと思われる。小寺政職などもその口だろう。この考え方は、誰かが一人、イヤ俺はこれだけの領地では満足できない、周囲の領地が全部ほしい、と言い出した時点で破綻してしまうのだが、普通に考えたら、望むのはその方向だろうと思う。

戦のない世を作るために天下統一、という考え方からはいい加減に脱却してほしい。