「のだめカンタービレ 最終楽章 後編」感想(その2)

雑感

一般に、先に原作を熟読した人が映画を見ると、ここが違うとかあのエピが抜けて話がずれているとか、そういう点がどうしても目についてしまうと思う。そういう視点の感想も貴重だが、映画は映画で独立した作品であり、原作との比較で評価され得るものではない。原作を知らずに映画だけを見た人には、別の世界や別の感じ方があるかも知れないのだ。

のだめ映画に関しては、テレビドラマと切り離して考えることはできないが、原作(漫画)とはあくまで切り離した視点で述べていきたいと思う。

残念な点。これはテレビ編、映画前編も含めて共通して言えることだが、登場人物が日々地道に努力する姿がほとんど全く描かれていない。のだめの集中力はすごく、やる気になった時は瞬間的にはすごい努力をする。しかし、音大に行き、外国に留学し、プロを目指す人というのは、そういう「すごい努力」を何年も継続してやっているんじゃないか。前編で千秋の弾き振りによるバッハを聴いたのだめが「ずるい……」とつぶやくシーンがある。バッハはあんなに練習したのに、あっさり弾かれて……という、重要なシーンだが、あんなに練習した風景がほとんど描かれていないため、「お前はそんなに偉そうにいえるほど努力をしたのか」と思わず突っ込みたくなる。

その千秋も、バイオリンはかつてヨーロッパのジュニアコンクールで優勝したこともあるほどの腕前だとはいえ、少なくとも大学に入ってからは一度も弾いたことがない(峰の試験の時に「春」をちょっと弾いてみせるだけ)。それがいきなりマルレオケのリハに呼ばれて、周囲の注目を浴びる演奏ができるのか? 大学ではピアノ科で、学生時代はピアノを猛練習したのだろうが、大学を卒業してから、一度でもピアノを弾いたか? 部屋にあるピアノで練習したことが一回でもあったか? それなのに一夜漬けでシュトレーゼマンの特訓を受けた程度であんなバッハが弾けるものなのか?

あれもこれも詰め込むのが難しいのはわかるが、もう少し日々の練習風景に時間をさいて、見ている人が自然に「あんなに練習しているんだなー、だからうまいんだな」あるいは「それでもダメだったのかぁ」と感情移入できるように作ってほしかったと思う。

後編ではミルヒーとのだめの共演があるが、このコンサートのための準備期間がどのくらいあり、本番に向けてどれだけの努力をしたのか? そこが全く描かれず、いきなり本番でいい演奏をして絶賛された……では、ついていきにくいものがある。

良かった点。ベートーベンのピアノソナタ#8「悲愴」およびモーツァルトの「2台のピアノのためのソナタ ニ短調 K.448」の2曲が聴けたこと、および、その出来が素晴らしかったこと。

「悲愴」はテレビ編で千秋がのだめを「発見」した曲であり、「2台のピアノのためのソナタ」は二人が初共演した曲であり、どちらものだめと千秋にとってはもちろん、テレビ編から見ていた人にとって印象深い、思い出の曲である。しかも、どちらもテレビ編で野演奏より明らかに格上の演奏だったのが驚きだ。

テレビ編は彼らが大学時代だが、音源は、いくらうまいといっても大学生がここまで弾けないだろう、というくらいのレベルの演奏だった。特に「悲愴」は千秋をして「すごい」と思わしめたほどインパクトの強い演奏だったのである。

実際、僕自身、これまでに聴いたことのある「悲愴」に比べてのだめの「悲愴」はアップテンポで、これまでは退屈な曲だと思っていたけど、このくらいのテンポで弾くといいな、と思ったのである。ところが映画の「悲愴」はぐっとスローになっていた。テンポに関してはこれが一般的な解釈なのだろうか。そして、これを聴いた時、ああ、やっぱり「悲愴」はこうでなくちゃな、としみじみ感じたのである。作中ののだめが3年間で進歩したのは当然だけど、それを実際の音で表現するのは難しい作業だろう。

「2台のピアノのためのソナタ」も同じ。この曲はテレビ編で知って気に入った曲で、サントラCDは何度も聴いたものである。その演奏も相当なレベルだったはず。しかし今回の劇中の演奏はそれとは全く違う、表現力に富んだ、情感豊かな演奏で、「千秋ものだめもここまできたのか!」と思わせるものだった。

彼女らにとって、この3年間が決して無駄ではなかったと感慨に耽ったわけだが、この気持ちはテレビ編から見てきた人にしかわからないだろう。それも、映画の直前にDVDを見た人にもわかるかどうか。作中人物と一緒にこちらも3年間を過ごしてきた人だけが受け取ることのできた感動だと思う。

それがあっただけで、この映画は価値があった。

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