窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

終わったあとも恐ろしい「この子の七つのお祝いに」(TV)

CSでの放送。知っている役者がたくさん出ているので何気なく見始めたが、最後まで目が離せなかった。

題名この子の七つのお祝いに
原作斉藤澪
監督増村保造
制作角川春樹
出演杉浦直樹(母田耕一、フリーのルポライター)、岩下志麻(倉田ゆき子、クラブ往来のママ・母田の愛人)、根津甚八(須藤洋史、東洋新報の記者)、村井国夫(秦一毅、大蔵大臣の私設秘書)、辺見マリ(麗子:青蛾、秦の愛人)、岸田今日子(真弓、マヤの母)、畑中葉子(池畑良子、おっぱい要員)、中原ひとみ(結城昌代、真弓・マヤの隣人だった)、芦田伸介(高橋佳哉、ゆき子の父)、坂上二郎(生松)、室田日出男(渋沢刑事)、名古屋章(古屋源七)、戸浦六宏(飯島)、小林稔侍(阿久津刑事)、神山繁(柏原)、他
制作日本(1982年10月9日公開)

内容紹介

ミステリー&サスペンス映画なのだが、30年も前の映画で今さらネタばれもないだろうから、結末から書くと、マヤ=ゆき子は物心ついた時は病弱で頭の中もちょっとイッている母親と二人暮らし。その母親は、今こんなみじめな生活を送っているのは父親が自分たちを捨てたからだ、父親を許してはいけない、恨みを晴らしてと口癖のようにマヤに言っていた。そしてマヤが7歳になった時、手首を切って自殺。その血で七五三の晴れ着が真っ赤に染まった。

マヤは成長すると倉田ゆき子と名を変え、正体を隠して父親探しに奔走。その過程で、自分の正体に気付いた人間、自分の行為を止めようとする人間を情け容赦なく亡き者とする。そしてついに父親を見つけ、殺そうとするが、そこで父親の口から聞かされた真相は――

高橋佳哉は真弓と結婚し、マヤをもうけるが、マヤが赤ん坊の時、真弓が目を離した隙にネズミにかじられ、それが原因で死んでしまう。娘を死なせた真弓は気が変になり、それに嫌気がさした高橋は真弓と別れ、別の女(ミヤコ)と結婚、キエをもうける。が、真弓はミヤコが目を離した隙にキエを盗み出し、自分の娘マヤとして育てる。娘を盗まれたミヤコはショックで死んでしまった……

雑感

登場人物の顔ぶれを見ると、岩下志麻が主役なのはわかるので、連続殺人事件は彼女が裏で糸を引いているんだろうなあ、というのはだいたいわかるが、その理由がわからない。その間に関係者が次々に死んでいくので、大丈夫か? またこの人も死ぬんじゃないか? と最後までハラハラする。サスペンスものとしてよくできている。また、わかってみれば事情も納得のいくもので、ミステリーとしてもよくできている。目的のためには人を顔色を変えずに死に至らしめて行く岩下志麻の演技が見物。

が、つい先日観た「八日目の蝉」と重ね合わせてみると、マヤ=ゆき子の人生は不運の一言では片付けられず、映画が終わったあとの彼女の感情を想像するとあらためてぞっとするのだ。自分が殺人鬼になったのも、実の母の恨みを果たすためと思えばこそ。が、その人は自分の母ではなく、自分も被害者の一人だった、ということを知ってしまったから。

「八日目の蝉」では、希和子は犯罪者だが、少なくとも恵理菜=薫は、希和子に愛されて育った。それでも、心に大きな傷を負い、人との関係をうまく作れないまま大人になってしまう。マヤ(本当はキエ)は真弓に一応可愛がられて育てられたのだろうが、幸せだったとは言えないだろう。嬉しかるべき誕生日のプレゼントの着物を、母の血で染められてしまうのだ。だから、血も涙もない殺人鬼に育っていくわけなんだろうけど。

恵理菜=薫は、いっそそのまま、20年くらい希和子に育てられていたら案外幸せだったのかも知れない。しかし、現代では小学校にあがることもままならないから、4年が限度であろう。「この子の七つのお祝いに」では戦後の混乱期の出来事としているため、戸籍などどうにでもなったのだろうし、だから40年も真相を知らずに生きてきてしまったわけである。

この映画が公開されたのは1982年10月9日。あの「蒲田行進曲」と同じ日だ。また、それに先立つ9月18日には岩下志麻の主演映画「疑惑」が封切られている。

過去記事