館内爆笑、いいのか?「わが母の記」

題名わが母の記
原作井上靖
監督・脚本原田眞人
出演樹木希林(伊上八重)、三國連太郎(隼人、八重の夫)、役所広司(洪作、八重の長男)、キムラ緑子(志賀子、八重の長女)、南果歩(桑子、八重の次女)、赤間麻里子(美津、洪作の妻)、ミムラ(郁子、洪作の長女)、菊池亜希子(紀子、洪作の次女)、宮粼あおい(琴子、洪作の三女)、三浦貴大(瀬川、作家志望の編集者)、真野恵里菜(貞代、女中)、他
公式サイト『わが母の記』2012年4月28日(土)全国ロードショー
制作日本(2012年4月28日公開)
劇場新百合ヶ丘:ワーナー・マイカル・シネマズ

粗筋

隼人亡きあと、八重の世話を誰がするかが問題となる。最初は桑子が、のちに志賀子が引取るが、八重がどんどん記憶を失くして行き、その世話はどんどん大変になっていく。事故で寝たきりの志賀子の夫に「毎日寝てばかりとはいいご身分だ」と悪態をついてみたり、志賀子のことを使用人呼ばわりするに及んで、今度は洪作が引取ることになる。が、長年伊豆(湯ヶ島)に暮らしていた八重は都会になじめず、洪作の家に来た途端に「帰りたい」と騒ぎ始める……

洪作は幼い頃、家族で台湾に住んだ時に自分は連れていかれず、祖父の妾だった人に預けられたことから、「母親に棄てられた」と思っており(その上養母に対して実母が「あんな女に預けるんじゃなかった」などと罵るので)、それがトラウマになっている。親の面倒は看るが、同時に恨みにも思っている。恐らくはそのこともあってか、娘3人に対しては愛情を注ぐが、それはしばしば過干渉となり、娘たち(特に紀子、琴子)の心に影を落とすことになる。

しかし、八重が自分を捨てたことの記憶をなくし、その上「どうしたら生きているうちに息子に会えますか」などと口走るのを見て、恨みに思う気持ちが薄らいでいく。また、おとなしい(はずの)紀子から「お父さんから傷つけられた」と反発されるに及んで、態度を改めていく。そんな夫の姿に、美津は、ある「秘密」を打ち明ける……

感想

映画館はものすごく混んでいて、席を取るのに苦労した。通常は、封切初日でもない限り、開始直前に窓口に行って席が取れなかったことはほとんどないのだが、さすがにゴールデン・ウイーク、チケット売り場は長蛇の列で、係員に「11時半(観ようと思っていた回)に間に合いますかね?」と聞いたら「売り切れてますよ」とのこと。仕方なく次の回にしたのだが、既に前方以外の席はほとんど売り切れていた。ビックリ!

その上驚いたことに、劇場へ行って周りを見回すと、観客のほとんどが僕より歳上の人ばかり。歳上というより、僕らの親の世代の人がほとんどのように見受けられた。なるほどねえー。普段、映画など観ない人がこういう機会に劇場へ足を運ぶなら、それは良いことだが。

ぼけの進んで行く親の面倒をどう看るかは現代でも深刻な問題である。樹木希林の熱演がすごく、頓珍漢な応答に周囲がどんどん苛立って行くところが本作のひとつの見所。これは笑えない、と思うのだが、劇場内は爆笑の渦であった。え、笑っていいの? でも老人介護に関して、僕らよりもよほど身近に問題を抱えているに違いない人たちが、(もしかしたら、それゆえにこそ)大笑いをしている様子に、なぜかほっとして、一緒に笑わせてもらった。

劇場内は「テルマエ・ロマエ」よりもはるかに爆笑に次ぐ爆笑の連続であった。だから劇場はかけがえのない空間なのだ。

それにしても、ハリウッド映画は、友情や、家族愛といっても主に夫婦の愛情を描いたものが多い。つまり、血の繋がっていない人間どうしの愛情や友情を描いた作品はたくさんあるが、親子の愛情(愛憎)をテーマにしたものとなると、すぐには思いつかない。一方、日本映画は、恋愛ものは別にして、友情や夫婦愛よりも親子に焦点を当てたものが多い気がする。本作などは邦画でしか考えられない内容だと思う。なぜかは、謎。

配役

キムラ緑子はつい先日「テルマエ・ロマエ」で観たばかりだが気づかなかった。あとになって気づいた次第。「嫌われ松子の一生」でも松子の母(柄本明の妻)役で出ているが、記憶になし。南果歩は「大阪ラブ&ソウル」が記憶に残る。ミムラは昨年の大河の細川ガラシャ役で知った。

リンク

itottoさんがごらんになった時も周囲は年配の方が多く、樹木希林のぼけに(平気で)笑っておられたんですね。

わが母の記 (講談社文庫)

わが母の記 (講談社文庫)