「午前十時の映画祭」。こんな古い名作が劇場で観られるのだからありがたい。どんな作品か全く予備知識なしに観たのだが、「アーティスト」のあとでこの作品を観られたのは何かの縁か。もっとも、「アーティスト」を知らなかったらモノクロ映画を観ようとは思わなかったかも知れないが。
題名 | サンセット大通り(原題:Sunset Boulevard) |
---|---|
監督 | ビリー・ワイルダー |
出演 | グロリア・スワンソン(ノーマ・デズモンド、大女優)、ウィリアム・ホールデン(ジョー・ギリス、脚本家)、エリッヒ・フォン・シュトロハイム(マックス、ノーマの執事)、ナンシー・オルソン(ベティー・シェーファー)、セシル・B・デミル(映画監督)、バスター・キートン(蝋人形)、アンナ・Q・ニルソン(蝋人形)、H・B・ワーナー(蝋人形)、他 |
制作 | USA(1950年8月4日アメリカ公開、1951年10月5日日本公開) |
劇場 | 立川シネマシティ |
粗筋
売れない脚本家のジョーが借金取りから逃げる途中で忍び込んだ邸宅は、寂れていて空き屋かと思ったら人が住んでいた。家の主はサイレント映画で一世を風靡した老女優、ノーマ・デズモンドだった。
当初はノーマが書いた、自分の復帰映画の脚本をジョーに清書させる(だけの)約束が、ジョーがお金に困っているのを見てとったノーマは贅沢をさせる代わりに愛人になることを暗に要求。断わると自殺未遂をはかる。
死なれては困るのと、恐らくは贅沢な暮しにも未練を感じてしばらく共同生活を始める。が、若いベティーと出会い、家を出る決心をしたジョーに、ノーマは銃口を向ける……
感想
どう書けばいいかなあ。古い映画は、仮に話がうまくできていたとしても、面白く思えないのではないかと思っていた。衣装も効果も演技も古臭いだけだろうし。しかし、そんなことはないとわかった。面白いものは面白いのだ。
そして、歌でもドラマでも、「かつてのスターが売れなくなった悲哀」をテーマにしたものは数あるが、その多くはこの作品を下敷きにしているのかなあと。「アーティスト」にしても、この作品の特にどこをパロったというわけではないにしろ、この作品を知っていた方が楽しめただろう。順序は逆になったが、観られて良かった。
かつてのスター女優、ノーマが、現状を認識できず、今でもスターであってスター扱いされてしかるべきだと信じ込んでいるところが本作の肝だが、グロリア・スワンソンの鬼気迫る演技が恐ろしいほどの迫力である。このグロリア・スワンソン自身がサイレント映画のスターであり、この時点では既に女優は引退も同然の身の上だったところがすごい。そういう女優によくこんな役をやらせたな、というのではなく、これだけの演技が(セリフまわしも含めて)できる女優をなぜ使わなかったのか? と思ったのだ。
現在のハリウッドでも、女優は、どんなに人気があっても40過ぎた途端にオファーがなくなる、というが……
ノーマが、サイレントからトーキーになって、映画がダメになったと繰り返し語る部分がたいへん興味深い。彼女によれば、微妙な表情でわからせるのが映画であり、セリフ、セリフ、セリフ、過剰なセリフの今どきの映画は評価に値しないものなのだそうだ。その割に、彼女が自らの復帰作と考えているものはトーキーであってサイレントではないのだが。
配役
1950年8月時点で、グロリア・スワンソンは51歳、ウィリアム・ホールデンは32歳、エリッヒ・フォン・シュトロハイムは64歳、ナンシー・オルソンは22歳。ナンシー・オルソン以外の3人は既に鬼籍に入っている。