「サンセット大通り」再び(DVD)

じっくり観たかったので、DVDを借りてきた。

ノーマがトーキーをこき下ろす場面

ジョーと初めて会った時。

「ノーマ・デズモンド、無声映画の大物だ(You're Norma Desmond. You used to be in silent pictures. You used to be big.)」
「私は大物。すたれたのは映画の方よ(I AM big. It's the pictures that got small.)」
「確かに最近の映画はひどい」
「映画の時代は終わりよ。世界中が注目していたのに、セリフが映画をぶちこわした。バカみたいにしゃべりたてる(There once was a time in this business when I had the eyes of the whole world! But that wasn't good enough for them, oh no! They had to have the ears of the whole world too. So they opened their big mouths and out came talk. Talk! TALK!)」
「気になるなら、耳栓をしたらいい」
「黒幕を引きずり出してやりたいわ。次々とスターが出ては消えてゆく。結果、スターがいなくなった」
「私はただの脚本家です」
「次々に言葉を繰り出し、映画を破滅へ導く。マイクは喉の振動まで拾うわ。そして悪趣味な色付けが始まる」

ジョーと一緒に自分の(昔の)主演映画を観ている時。

「やっぱり素敵ね。セリフなんて必要ない。表情が語るのよ(We didn't need dialogue. We had faces.)。あんな表情ができる女性が他にいるかしら?」

「アーティスト」のジョージの苦悩がようやくわかってきた。なお日本語は字幕に従ったが、短く表現するあまりかなり文意を損なっていますね。冒頭のやりとりは「かつての大物だ」「今でも大物よ」といった感じだろうか。

「アーティスト」と比較して

もう長い間収入は途絶えているはずなのに、ノーマは相変わらず大邸宅に住み、贅沢な暮しをしているのに対し、「アーティスト」のジョージは安アパートに引っ越し、自動車を維持することもできないありさま。この差はどこからくるのか。

普通に考えたら、スターである間にそれなりに貯め込んだだろうから、仕事がなくなってもすぐに生活が困るとはないだろうと思うのだが、あちこち投資していたのが1929年の大暴落で破産してしまったということか? ノーマもいろいろ投資していたようだが、そこはうまく切り抜けたのだろうか?

字幕の違い

映画とDVDでは字幕が異なる。同じものを流用しないでわざわざ作り直すとコストがかかるだけのような気もするが、いろいろ事情があるのだろう。多少の単語は聞き取れても、ほぼ字幕に頼っている自分は、訳が変わるとかなりイメージが変わる。今回は続けて観たため、印象の違いが際立ったのだが、特に気になった点。

  • ジョーがベティーと初めて会った時、ベティーがジョーの脚本を批判すると、ジョーはジェームス・ジョイスやドフトエフスキーの名前を持ち出し、「そういうのを書けば君のお気に召したのかな?」と厭味を言う。映画ではこの二人の名前が字幕に出てきたが、DVDでは訳出されていなかった。これは名前を出すべきだった。
  • 晦日、ノーマが自殺未遂をはかったことを聞いてあわてて戻ってきたジョーが、「もうこんな真似はしないと約束を」と言ったのに対し、ノーマは、(DVDでは)「またするわよ」と答えているが、映画では「約束なら何度でもするわよ」(約束しろというならするけど、守らないわよ)というような訳だったと思う。原語では "I'll do it again." と言っている(ように聞こえる)ので、DVDの方が正しい?
  • ティーが出張中の婚約者から電報がきた、こっちへ来いというの、とジョーに打ち明ける場面。映画では「ここでは2ドルで結婚式が挙げられるから。そのまま新婚旅行に行こうぜ、って」。DVDでは、「ここでは2ドルで結婚式があげられるから、その分新婚旅行に充てようぜ、って」。意味からすれば映画の方が通るようだが、原語はどうなのか?
  • 「50歳にもなって……いい加減にしろ!」と吐き捨てたジョーに銃弾を撃ち込んだあと、ノーマが(DVDでは)「スターは永遠に輝き続ける」とつぶやく。映画では「スターは年を取らない」か何かだったと思う。原語では "The stars are ageless, aren't they?" と言っている(ように聞こえる)ので、これは映画の方が良かった。年齢を重ねても輝いている人はいるし、agelessをそういう意味に使うこともあるだろうが、ノーマの場合は実際にここ20年は全く年を取っていない(と思い込んでいる)ので、そこはダイレクトにそう訳した方がいいと思う。

素朴な疑問

晦日の自殺未遂事件のあと、ジョーとノーマは晴れて(?)愛人関係になった。で、下世話な話になるのだが、この二人、肉体関係はあったのだろうか? この日、ノーマはジョーに愛していることをはっきりと告げ、ジョーはいったん拒否して逃げようとするけれども、結局は受け入れることにした。その時、口頭だけでなく、態度でそれを示したと考えるのが自然である。もしそうなら、たいして好きでもない、20も年上の女性とそういうことをするのはかなり大変だっただろう。

しかし、劇中では、ベッドの上の行為はもちろんのこと、二人がキスする場面すら描かれない。ジョーとベティーは濃密なキスをする場面があるわけだから、これは「二人は清い関係でした」という示唆であろうか。そもそもこの二人、一緒に寝ていたのか。

古典としての本作品

つかこうへいの「蒲田行進曲」という作品(舞台/小説/映画/TVドラマ)がある。この作品には、かつて一世を風靡した(今は落ち目の)小夏という女優が出てくるのだが、つかこうへい氏は、「落ち目になった女優が、毎日自分に宛ててファンレターを書いている、という話を聞いた時に、彼女のキャラクターが出来上がった」というようなことを語っていたと記憶している。

30年以上前のことなので、定かではないが、もしファンレターを書いているのが自分の召使い(あるいは夫)であれば、まさにそれは「サンセット大通り」である。自分で自分に書いているとなると、意味合いが変わってくるので別作品ということになるが、それは本作を下敷きにしたものであろう。

チューリップに「サンセット通り」という佳曲がある。タイトルも「大」がないので微妙に異なるし、歌詞は「いつものように君を駅に送る……」で始まるから、ロサンゼルスの道路ではない。が、もともとこの歌のタイトルは「サンセット・ブルバード」で、レコード収録の際に「サンセット通り」と改まった経緯がある。チューリップには、昔のアイドルを歌った「私のアイドル」や売れない歌手の悲哀を歌った「アンクル・スパゲティー(三文歌手)」などという歌もあるから、どこかでこの映画の影響があるのではないか。

現在「モーニング」という週刊誌に連載中の「デラシネマ」という漫画がある。ここに、かつてのスター俳優が久しぶりに撮影所を訪れたところ、彼の顔を知らない守衛に止められ、揉めているところに現在のスター俳優が通りがかり、「先輩、ご無沙汰しています」といって招き入れるシーンがある。これなどは本作のエピソードそのままである。まあ、この60年、使い回されたエピソードかも知れないけど。

一世を風靡して、忘れ去られた人の悲哀、というのは様々なパターンが考えられるため、恐らく本作以降、いろいろなバリエーションを生み出し、多くの分野に影響を及ぼしたものと思われる。そういう点でもエポックだったといえるのではないか。とにかく、このような作品に触れられてよかった。