何がしたかったのか。「私が、生きる肌」

これも恐ろしい。ゾクゾクきた。

題名私が、生きる肌(原題:La piel que habito / The Skin I Live In)
原作ティエリ・ジョンケ「蜘蛛の微笑」
監督ペドロ・アルモドバル
出演アントニオ・バンデラス(ロベル・レガル、形成外科医)、エレナ・アナヤ(ベラ・クルス、被験者)、ブランカスアレス(ノルマ、ロベルの娘)、ジャン・コルネットビセンテ、ノルマのボーイフレンド)、スシ・サンチェス(ビセンテの母)、マリサ・パレデス(マリリア、使用人)、ロベルト・アラモ(セカ、マリリアの子)、他
公式サイト映画『私が、生きる肌』公式サイト
制作スペイン(2012年5月16日公開)
劇場TOHOシネマズシャンテ

粗筋(ネタバレあり)

ロベルは最愛の妻を事故で失った。実は妻は使用人であるマリリアの息子、セカと懇ろになってしまい、二人でドライブ中に事故に遭い、セカは逃走。妻は一命を取り留めたが、全身に火傷を負い、特に顔は無残な有様。意識を回復して自分の顔を知った彼女は、自殺してしまう。以来、ロベルは形成術、特に火に強い人口皮膚の研究に時間を費やすことになった。

そんな矢先、一粒種の娘がレイプされ、そのショックから精神に異常をきたしてしまう。ロベルはひそかに犯人と目されるビセンテを捕まえ、男性器を取って膣を作り、全身の皮膚を人口皮膚に張り替え、顔を亡き妻そっくりに整形し……という“実験”を施していく。……

感想

予告編は一度も見たことがなく、タイトルだけでなんとなく惹かれるものを感じ、観るのを決めたのだが、正解だった。あとから予告編とパンフレットを見たが、よくできている。妻そっくりに顔を変えた女性を軟禁し、一緒に暮らしている、という導入だけでも十分に異様なのだけど、肝心の部分は一切情報を与えていない。世界中のお手本のような作り方だ。

軟禁した女と一緒に暮らす男は異様だけど、正直言えば少々退屈ではあった。途中で過去に遡った物語になるが、現在とどうつながるのか、よくわからず眺めていたところ、どうつながるのか、どころか、ああそういう風につながるのか! と、バラバラのピースがひとつになる快感と、そのあまりの異常さにものすごくショックを受けた。

ロベルがこうしたことを行なうのは、人体実験であり、罪を犯した男に償いとして被験者を無理やり勤めさせているということかと思ったら、なんと、ベラを犯しはじめる。ロベルにとってはこれは「愛」だったらしいのだ。そういう意味では2回どんでん返しがある。

女性を軟禁するなどということが可能なのかどうかは詮索するとストーリーが成立しないから置いておくが、そもそも妻の死の直接の要因を作ったのはセカなのだから、この人間だけは警戒しなければいけないのに、セカにつながるマリリンをパートナーとして使い続けていたのはいかにも解せない。また、ロベルとセカは実は血のつながった兄弟だった、という設定まで盛り込んだ理由が不明。ロベルはそれを薄々知っていたから、マリリンを切れなかったのか?

最後、魔の手を逃れたベラは自宅へ、母の許へ戻るのだが、彼女はこれからどうやって生きて行くのだろう。もちろん、勝手に顔も性も変えられてしまったこと自体、大変な問題だが、それは置いておいたとして、このような大掛かりな手術に何の副作用がないとは思えず。特に人工皮膚はまだ実験段階で、10年、20年経った時にどのような事態が発生するか、見当がつかない。何もなければいいが、何もないことはないだろう。その時、対処できるのはロベル以外にはないわけで、恐らく彼女は、顔と身体に関しては割り切って新しい人生を歩む決意を固めたとしても、あまり長生きはできないと思うのだ。

そもそも、ノルマのレイプ犯として、ビセンテは本当にguiltなのだろうか。パーティーの際に二人きりになって、少なくともキスをするまでは合意の上である。そのあとの行為は、思いやりには欠けていたかも知れないが、レイプと決めつけるのはどんなものか。クスリでラリっていたようだから、それでもの凄く感情的になり、傷つきやすくなっていたのではないか。クスリを飲んだのはノルマ自身である。もっとも、ロベルは贖罪のつもりでこうした行為を強いたのではないのかも知れないが……

洋画(欧米作品)で非英語作品は初めて。フランス語やドイツ語は、挨拶くらいならわかるが、スペイン語は一個もわからん。

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